酒やめて、2966日
飲酒時代は「いい人」だったと思いますよ(いけしゃーしゃー)
2個前のエントリで「酒やめるとは、要は大雑把な人間になることだったんだ!」といったことを書かせていただきました。あくまでもこのブログにしては、ですが、X上でそこそこ反響があったというか共感を得たので、調子に乗って続きのようなテーマでエントリしたいと思います。
「アル中になるのは繊細な人で、酒をやめると大雑把な人になる」説も、断酒er妄想かもしれんと思っていたのですが、共感を得たことでもう一歩進んで(?)さらに妄想度が高い説を展開させていただきたく、それがタイトルです。
しかしこれは妄想ではあるけれども、このブログの根幹に関わることなのです( -`д-´)キリッ
このブログは、性格悪いベースの屈折した優越感を以て断酒を続けていこうということを、一つのテーマとして勝手に規定しています。そしてその前提として、「いい人」だからこそアル中になるという側面があると、これまた私は勝手に考えております。
よく、アル中になるのは弱い人間であるといわれ、それは現在では否定されていますが、ただ「いい人」と「弱い人」は人間の属性としてわりに被る部分があるのかもしれません。
で、自分のことをいえば、飲酒時代はいい人というか、やっぱりお人よしだったと思いますね。他人への共感度が非常に高かったのです。他人の痛みを自分のものにできる……というか。自分で言うのもナンですが。
でもって、酒をやめてからというもの、そういう部分が消えて、性格が悪くなりました。性格のブラック度が濃くなった。それをベースとした他者に対する観察力、分析力が高くなったと思いますねー。
「世の中に悪い人なんかいないっ」は大嘘でした(当たり前)
世の中の人間の中には、こちらの共感度の高い行為(こちらが思ってるだけかもしれんが)を当たり前として、それを大前提に、そこからさらにずかずかと踏みこみ、要求を上げてくるタイプがいます。喩えとして適切かどうか分かりませんが、1万円貸したら10万円貸せと言ってくるタイプですね。
とまあ、こんなことに酒やめてやっと気づくのも、血の巡りが悪いことではありますが、逆に言えば、飲酒時代はそんなことさえ気づかずに、それでも共感しようと頑張っていた……と思います。こういうことをいけしゃーしゃーと言えるのも、性格悪くなった証拠かもしれんが(汗)。
なんというか、飲酒時代までは性善説で人と接してきたのですよ。学校の先生の言う通り「世の中に悪い人なんかいないっ」という考え方をベースに生きてきた。大人になるまではそれでもよかったのかもしれんが、ただ一度社会に出てみれば「ショーワル」はいます。サイコパス的性格の持ち主はいます。てか、今、非飲酒脳で考えれば、学校の先生ほど世間知らずはいないわけですからね。そりゃ「世の中に悪い人は‥」にもなりますわ。そんな教えを信奉するというのも、何とももはやの話ではあります。
ともあれ、そういう人間がいるのはもうしょうがない、と。じゃあ、どうすればいいかというと離れればいいだけですよね。仕事などで仕方なく付き合うときでも、絶対に共感しない、同意しないし否定もしない。淡々にして坦々と付き合う。
繰り返しますが、世の中の人間がみんないい人なわけがない。付き合うに値しない人間も一定数いるという当たり前の真実に、酒やめてようやく気づき、それを冷静に受け止めることができた。それが自分もブラックになるということだったと思っております。
そして、そうしたブラックベースのセンサーみたいなものがわりに敏感に働くようになったので、大雑把な人間になるのと同様、生きやすくなったのは事実ですねー。
ついでに言えば、日本という国もこれまで、「世の中に悪い人なんかいないっ」という考え方で他国とお付き合いしてきたと思います。それは日本が侵略を受けにくい環境にあったからでしょう。
ただ、グローバル社会とやらでは、そこのところを他国や他民族に上手く利用されている。中国人の健康保険利用などはその典型でしょう。これからは、日本の国としての施策も他国同様、「性格悪い」をベースにしてほしいものだと思います。それが、(オールドメディアの大好きな)「グローバルスタンダード」てなものでしょう。
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