酒やめて、3176日
「抜けなきゃ抜けなくていいよ」メンタリティ
自転車運転について、来年4月からの反則金制度の概要が発表されましたが、この制度は、自転車の歩道からの締め出しという側面があるとされています。ご存じの通り、自転車は車道走行が基本でしたが、それに違反すると反則金を伴う罰則を受けるようになるのですね。それに先立って最近、クルマを運転していても、車道を走る自転車が目立つようになったと感じます。
実際には歩道を走った方が明らかに理に適っているケースもあって、まさにケースバイケースなのでしょうが、ただ一度法の網をかぶせてしまうと一つの方向に向かうのは過去の事例からも明らかなので、歩道ではなく車道を走る自転車の存在は、もうデフォになってくるでしょう。
そうすると、クルマを運転する側からすれば、やはり、なかなか追い抜けないケースが出てきます。でもって、以前の酒を飲んでいる時代の私であれば、これはもう当然のごとくイライラして、何とか抜けるチャンスを伺い、あるいは事故につながったかもしれません。
酒やめた今となっては、メンタリティが「抜けなきゃ抜けなくていい」になっているので、のんびり構えることができます。後ろのクルマが詰めてきたりもしますが、気分はモナコグランプリでロータスに乗ったアイルトン・セナであります。
そして、これなどは、酒をやめて魔改造されていた脳が元に戻った例なのかなあとも勝手に考えております。そう、ここにポイントがあるのですよ。断酒者的には。
自分を「イライラしない人」と規定することができるのだ
飲んでいる人でも飲まない人でも、このテのことにイライラするかしないかは、もともとその人が持っている性格に拠るじゃないですか。前に自転車が走っていても、気にならない人もいるし、一刻も早く抜かそうそうとする人もいる。またクルマという存在は、「急ぎの虫」というものを目覚めさせてしまう存在なので、そのようにクルマさんが仕向けるという側面もあるでしょう(参考「あの「急ぎの虫」は、いったいどこに行ってしまったのか」)。曰く、「運転すると人が変わる」。
で、そういうことも含めて、自分をメタ認知できるのが断酒er特権であるということを、ここでは言いたいのであります。本当にそうかどうかはわからないけれども、そのように自分で思い込むことができ、それは生きていく上でアドバンテージになる、人生をラクにしてくれるのですね。
て、すみません、どうも生来の文章力のなさで、ゆーとることがよーわからん状態なのですが、つまり、以下のようなことなんですよ。
断酒erは、車道を走っている自転車に対してイライラしていた自分を「仮の姿」だったとすることができる。酒によって脳を魔改造されていたからイライラしていたんだと規定できる。たとえそれが本来の自分の性格だとしても、酒さんに責任を押し付けることが可能になる。
そして一たび、そうしてしまえば、今はもう酒さんによる脳魔改造から脱して元に戻ったのだから、イライラしないのが本来の自分だと思うことができる。それによってイライラしない。といった正の循環が生まれる、と。
いや、ほんとにそうかどうかはわからないのですが、そのように自分で身勝手に思えるのも、断酒er特権、引いては上級人類の資質になると勝手に考える次第でございます。
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