酒やめて、1476日。
清水義範『ビビンパ』が描くところのお父さんは……
ちょっと前に、焼肉屋や回転寿司で飲む人が少なくなっているといった話を書かせていただきました(参考「お金って使いでがあるものなんだなあとしみじみ思いますよ。酒飲まなければ」)。もちろんこれはコロナの影響でしょう。飲食店での長尻を避けるためであり、酒を飲むとどうしても滞在時間が長くなってしまいます。
断酒者であるところの私の場合、コロナ以前から、お店を予約したりする際、2時間以内となりますがと言われたときは「それでいいです」と答えつつ、酒も飲まないのに2時間もいられるかー! と心の中で突っ込んでいました。
それはともかく。飲食店における家族の飲食スタイルが変わってきているという話です。
唐突ですが、清水義範さんの著作に『ビビンパ』という短編があって、短編集の表題作にもなっていますが、今調べたら初版は1990年ですね。他の清水作品同様、着目点が秀逸で、そこはかとない面白さがこみ上げてくるのが特徴です。
この『ビビンパ』ですが、家族で焼肉屋に行くというただそれだけのお話です。お父さんは当然ながらビールを飲みます。まあこの程度ならネタバレしても良いかと思いますけれども、家族4人でお父さんしか飲まないのに、瓶ビール2本をいきなり頼んでお母さんにたしなめられます。
で、家族を焼肉屋に連れて行くというのは、お父さんにとっては晴れ舞台なわけですよ。オーダーの仕方などもいきりまくっています。そして繰り返しますが、当然飲みます。そうしたお父さんの入れ込み具合と、他の家族の反応のギャップがこの小説の肝なのでしょうけれども、このような「風景」は、昭和、あるいは平成初期のお父さんが醸す典型スタイルであったと思われます。それを小説ではカリカチュアライズしているだけで。
もちろん私もそうでしたね。家族で外食するときは、当然飲んでました。まさにビビンパ父さん状態、 それのもっと酷いやつです。車で行った時は帰りは運転してもらって、後ろの席で、おっアームレストにドリンクホルダーがあるやんこりやいいわと缶ビール飲んでいました。そして冷ややかな目で見られておりました。馬鹿です。
ウィズコロナでは飲まずに黙々と食べるがデフォに!
ところがコロナ下にあっては、こういったスタイルはもうなくなっていると考えてもよさそうです。焼肉屋、あるいは回転寿司のような、家族でご飯を食べる飲食店においては、お父さんは(お母さんも)飲まないがデフォになっています。そして流行りの「黙食」というのでしょうか、あまり会話をせずに食べていますよね。酒を飲んだら、なかなか黙々とはいかず『ビビンパ』のお父さんになってしまいます。
これがアフターコロナも続くのかと言われれば、断言はできませんけれども多少なりとも影響はあるのではないでしょうか。ウィズコロナとなるならなおさらです。こういうことって一つの事件をきっかけに劇的に変わったりしますから(参考「人間の価値観なんてパッと変わる。「飲酒」についてももうすぐかもしれませんよーっ!?」)。
少なくとも、外でだらだら飲むというスタイルは確実に廃れるでしょう。そして、ぱっと切り上げるお父さんの姿は、断酒者、あるいは断酒したい人の追い風になるのかなあ、とも思います。さらには酒文化の衰退というのもこういうところから始まるのではないかと冷ややかな目で見ている、そして期待を込めて見ている断酒者がここにいますよ。