酒やめて、2945日
もはや「昭和の頃と違う」どころではない!?
中居くんの事件や、その前の松本人志さんの事件などを見るにつけ、高まる一方の社会のコンプライアンスに人間の動物的本能みたいなものが置いていかれているんだなあという感を非常に強くします。で、それがタイトルです。
これは女性も同様であり、たとえば生物的な意味での出産適正年齢と仕事のキャリアを積む時期が今の世の中――コキン法以来顕著になったと思いますが――においてはまさにシンクロしており、出産かキャリアアップかの二択になっているという問題がありますよね。そこをなんとかしていくのが政治なんでしょうけれども、とても上手くいっているようには見えません。そもそも一億総活躍と少子化対策って、トレードオフの関係にあるのではないでしょうか。
LGBTの問題にしてもそうであり、多様性への理解が進む一方、じゃあ少子化との折り合いをどのようにつけるのかという問題も出現しています。「産めよ殖やせよ」という人類が伝統的に築いてきた社会的動物としての営みとは、多様性は明らかにバッティングします。まあこの辺は微妙な問題ですけれども。
むろん、そんなことはお前なんかに言われなくともわかっとるわいっマターでしょう。ただし「わかっとるわいっ」以上に実は変化しているのではないか。
よく昭和の時代の価値観は通用しないなどと言われ、このブログでもそのように書いてはいますが、もはや「昭和の頃」と違っているどころではなく、人類が農耕によって定住生活を始めた、すなわちSociety2.0に分類される時代から営々と築いてきた社会が一大転換するくらいの「変化」が訪れているのだと感じます。
飲酒習慣は「ロジカル」「ジェントリー」とバッティングする!?
て、このブログは、そのような大それたテーマ(?)に対して、プアな文章力、プアな語彙力で立ち向かおうとしている(?)ため、どーも上手く伝えられなくて恐縮なのですが、まあ、伝えたいことをうんと端折って、さらにはあからさまに言ってしまえば、断酒erは進化した人類であるということでありますよ( -`д-´)キリッ。独善理論ですが、断酒ブログなのでよかろうもんであり、またそれは一面の真実だと、少なくとも私は確信しております。
どういうことかというと、これまたいつも書いていて恐縮ですが、とにかく社会はロジカルな方向へ進化しているわけですよね。当然、IT化、AI化がその背景にあるでしょう。「AIやロボット、自動走行車などの技術の活用によって、人が快適に暮らせる社会」とされ、情報社会であったSociety4.0からさらに「情報や知識の共有」が重要となるSociety5.0はロジカルな社会と言ってもいい。ロジカルであることが「共有」の前提条件としてすべての人間に求められる。そしてそれに伴い、メンタリティもジェントリーに移行している。今の若者はまさにそうですね。これは、ロジカルさに裏付けられた、表層的なジェントリーさなのかもしれませんが。
ともあれ、その人間のロジカルでジェントルな面を否定しにかかるのが酒さんでありまして、酒を飲むと人間はおうおうにしてエモーショナルになり、それはその人の本質と化し、飲酒シーン以外の場面でも顔を出すようになります。会議などですぐに大きな声を出す人間はたいてい酒飲み……のような気もします。
これまでは、人間社会はそのようなエモーショナル部分でつながっていた側面もあったけれども、今はそうしたことがもうまったく否定されようとしている。飲酒行為がもたらす人間の性向が社会と適合しなくなっているのかなあと、都合のいいことを考えたりもするのであります。少なくもそう考えるのも断酒モチベーションになるかと。
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