酒やめて、2236日。
ドーパミン放出支援を飲酒に求めるのは底辺!?
いや実際問題、人間はドーパミンを出さずにはいられない……というかドーパミン放出を求めて生きている存在だと言ってもいいかもしれません。脳がそのようにできていて、めちゃ厄介です。以前もこのテーマ(?)について取り上げさせていただいております(参考「そもそも人間は「中毒」状態を必要とする動物なのだ。だったら……」)。
でもって、一番手軽で強烈にドーパミンを出してくれる方法は飲酒、ですよね。
そして、断酒erの謎の上から目線で過去の自分を自省しつつ言わせていただければ、飲酒によってドーパミン放出を求めるのは、当然アル中リスクなどもあるのですが、その前に生き方として底辺です。
実際、たとえば「俺は飲酒をコントロールできる( ー`дー´)キリッ」の輩でも、飲酒習慣が深まると、やがてたかり酒をしたりするようになります(参考「酒に溺れると、破滅に至るまでの「前段階」があるからむしろ怖いんですよという話」)。
で、その代替行為を見つけることが断酒に他ならないわけですが、ティピカルなものとして筋トレがあるということを一昨日書かせていただいております(参考「筋トレはじめ運動というものの偉大さに、あたらためて思いいたっています」)。そしてその筋トレも含め、自分のドーパミン放出支援行為を何に求めるかということで、ある程度、その人の生き様が決まってしまう。そうした時代になっているように思います。
ドーパミンの「出し方」を意識できるから強いのだ!
私は代替行為を主にサーフィンに求めています。サーフィンは実は諸刃の刃であり、ドーパミン放出支援能力が非常に高いだけにサーフジャンキーになってしまいがちで、そういう意味ではアル中に近いのですが、まあでもアル中に比べれば一億倍マシです。そして善かれ悪しかれ、生き方の規定力が非常に高いのです。誰でもサーフィンにハマれば、アイデンティティが「サーファー」になります。
また筋トレに関してはTestosterone先生が言う通り「人生の99.9%の問題は、筋トレで解決できる!」であり、だから「筋トレ立人生」も当然あるわけでして、この辺も筋トレが優秀なところであるのでしょう。また近年では脳機能を高めることまでわかっておりますので、こうした観点からも、まあサーフィンもギリ含めてもいいかもしれませんが、筋トレをはじめとした運動に拠った人生は、かなりグレードが高いと言えるのではないでしょうか。
一昨日も書きましたが、そういう意味では学校時代の運動部活動も、やはり生き方に関わってくるものです。いわゆる体育会的価値観による弊害みたいなことも指摘され、そうしたことの延長線上に酒の強要もあるのでしょうが、ただ、今やってるWBCなど観ていても、かつての野球日本代表にあった「体育会臭」みたいなものがまったく消えていますので、そのあたりの悪き文化も急速に消滅に向かっているのでしょう。例のペッパーミルパフォーマンスを高校球児が甲子園で行い高野連が注意したところ、高野連に対して違和感を持つ意見が噴出したことでも、今の時代の空気がわかるというものです。今後は、運動の脳(≒学力)への影響なども、学校現場でもクローズアップされるのではないでしょうか。
いずれにしても、飲酒以外のドーパミンの出し方を身に付けていれば、それによって人生のかなりの部分をコントロールできます。そしてここから先が言いたいところなのですが、まったく飲まない人や純粋な機会飲酒者よりも、断酒erは「ドーパミンを飲酒の代わりに何で出すか」を常に意識できるので、これは非常に大きなアドバンテージになる、と。そのように勝手に考えております。
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