【断酒者私見】「若者のお酒離れ」の本当の理由。

酒やめて、2032日。

「はたらく」「さけのむ」だけの人生は嫌だ!

ちょっと前ですが、断酒友から面白い記事を教えてもらいました。「“若者のお酒離れ”に若者たちが本音回答「おじさんもフラペチーノ飲まないでしょ?」です。若者が酒離れしている現状についてのレポートですね。私がTwitter上で勝手に断酒仲間認定させていただいている「244@ズッコケ断酒問答/断酒投資ダイエッター」さんも取り上げていました。

タイトルの「フラペチーノ」ですが、これは若者の性向を分析するためのキーワードとして頻出する言葉なので、あるいは記者の「創作」かもしれません。そもそも「おじさんもフラペチーノ飲まないでしょ?」なんて芝居じみたセリフ言いますかね?

それはともかく、この記事で、まずうなってしまったのは以下の一節です。

飲みすぎて何もできない状態になるのは、時間がもったいないと思ってしまうんです。酔っ払って思考力が落ちると、ゲームや読書など、したいことができなくなってしまうので、飲む量には気をつけています

いやこれねー、若い頃、会社員時代の私に言ってやりたいですよ。まさに、良いところに気づかれましたな@孔明ですねー。

昔の私を思い出すに、働いて疲れる→酒でも飲みに行くかあ→酔った酔ったでごろん→なんだもう朝かよ→また働かなきゃという感じで、何の疑問もなくそういう生活をしていました。「はたらく」「さけのむ」だけで、自己裁量の時間がまったくなかったのです。今考えれば烏滸の沙汰ですわ。そうしたこと、つまり「酒飲んでたらなんもできん」に、若いうちに気がついているのはまったくリスペクトです。というかもうメンタリティがハナから違いますな。これは学校教育の影響もあると思います。

我々世代では、学校で一番大切とされていたのが「協調性」です。集団生活というものを上手くやっていくスキルが、社会からもっとも必要とされていたからです。

では、今の学校で大切にされているのは何かといえば自主性です。自分で考えることを、ことあるごとに要求されます。そして、そういう教育を受けた若者たちが社会に出てきています。彼ら彼女らは、むろん人にもよるのでしょうが、自分の考えはなんだろうと常に自問しているわけですよね。

余談ながら、今は集団生活における協調性というスキルよりも、むしろ嫌な人間と付き合わない、そこから離れるスキルの方が重要です。なぜならこのブログでもいつも書いていますが、人間関係によるストレスが、自分で生きていくための最大の資本である「脳」を毀損するからです。

進化した人類は、飲酒行為を相対化できる!?

90年代までは、集団のなかで協調性を発揮して上手くやっていれば、それなりの見返りはありました。定年までの雇用保障とか昇進昇給とかですね。でも今は、集団のなかで上手くやっていくことの見返りが少なすぎます。

そして、一昨日の記事に書かせていただきましたが(参考「人類は「狩猟→農耕」以来の歴史的転換点を迎えています。もちろん酒との付き合い方においても」)、人間はもはや集団生活から脱しようとしています。それとともに酒の地位も低下しています。

さて、冒頭の記事の最後は、以下の一節で締められています。

“若者のお酒離れ”と言われて久しいが、当の若者たちにとってはどこ吹く風なのかもしれない。

つまり今の若者は、飲酒という行為を相対化する能力を持っています。一大転換している社会構造のなかで、酒というものをその他のマターと並べてみて、取るか取らないか決めているのです。集団生活ありきではないからこそ、それに付随した酒ありきではない。そのことを本能的に理解した、いわば進化した人類になっている。これが若者の酒離れの理由であると個人的に断酒者的に考える次第でございます。そして断酒者も同じだと(笑)。

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