「寿命が短くなる」よりも、「社会的寿命が短くなる」方がよっぽど恐いのだ。酒によって。

酒やめて、1952日。

Become shorter

「多少寿命が縮んでも飲み続ける」はハードボイルド!?

先日、断酒をがんばっている知人と話しておりましたら、彼の知り合いの酒飲みから「俺は多少寿命が縮んでも飲み続ける」と宣言(?)されたとのことでした。別に訊いてもないのに!(苦笑)

いやーしかし、これはこれでよくわかるんですよ。その酒飲みの気持ちが。私も飲酒時代はそのようにうそぶいておりました。

多少寿命が縮んでも飲み続ける――。かっこいいです。いや、かっこよくはないけど、少なくとも本人はそう思っています。そういうとき、なんだか自分が太宰や安吾になったような気もして、て、もちろんそんないいもんじゃないですが、なんというかある種倒錯した自己満足を覚えたものです。世の中の苦悩はすべて俺が背負っている、だから俺は酒を飲むんだ、てなもんですね。まあ完全な馬鹿ですわ、今考えると。

さて、「多少寿命が縮んでもいい」は、飲酒者以上に喫煙者がよく使うフレーズでもあります。たとえば景山民夫著のハードボイルド小説『トラブルバスター』には、主人公で探偵役の宇賀神邦彦のこんなモノローグが出てきます。

仕方あるまい。一日にハイライト四十本吸ってりゃ、どうしたってこうなる。こうなると判っているけれど、仕事場で二十本、その後で飲みに回って二十本。これは日課みたいなものだ。それを減らしてまで、三、四年長生きしたいとも、別に思ってはいない。

思っていないことを自分に証明するために、床に落ちた煙草のパックを拾い、一本抜いてジッポのオイルライターで火をつける。

喉にヒリッとした第一撃が来て、しかし、すぐに呼吸器が、慣れ親しんだ煙を受け入れるのが分かった。

(引用前掲書・改行などは引用者都合)

いやーこれもかっこいいです。まさにハードボイルドですね。

でも、ですね、喫煙者の「多少寿命が縮んでもいい」と飲酒者のそれは若干異なっているのですよ、余計なお世話ながら。

飲酒習慣は少量でも「社会的寿命」を縮める

つまり喫煙者の場合、「寿命」は身体的な寿命を意味します。肺がんリスクや脳梗塞リスクが飛躍的に高まったり、そういうことですよね。

もちろん飲酒にもそういう側面はありますが、やはり着目したいのは脳への影響です。飲酒はたとえ少量でも、脳に悪影響を与えることが今や明らかになっていることはこのブログでも度々取り上げてきました(参考「「酒をちょっとでも飲むと脳に悪影響をおよぼす」が常識になりつつある世の中だから」)。

確かに「酒は百薬の長」などと言われ、少量なら健康にいいという信仰もありました。実はこれも現代では否定されていますが、まあただ身体的には、タバコほどの「絶対悪」度はないでしょう。しかし何度もすみませんが、頭脳に対する影響は少量でもあるのです。

でもって脳の性能が劣化すると、社会的寿命が縮んでしまいます。これが、死ぬまで働け―の時代にはまったく合ってないのです。

もちろん、ちょっと前までの世代のように「楽隠居」できる人は、脳の性能が低下しようがどうしようが、どうってことないでしょう。あるいは冒頭の飲酒者もそうなのかもしれず、だから何も申し上げることもありません(だからといって、断酒者に対してことさらにアピールする必要もないと思いますがw)。

ただ、そうではない私のような者にとっては、単に「寿命が短くなる」よりも、酒によって脳がやられ「社会的寿命が短くなる」方がよっぽど恐いのです。そしてその恐怖が、断酒を続けさせてくれるのだと思っとります。

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