酒やめて、1486日。
「卒婚」ブログが身につまされすぎる!?
「卒婚」というテーマに興味があり、読んでいるブログがあります。「卒婚・新しい夫婦のかたち」です。
なんでも本職のライターの方がやっているようで、文章に品があり、重いテーマ(?)ながら心地よく読めてしまうのですね。そしてブログ主さんは、夫さんとの関係について模索する意味でブログを書かれています。「離婚」ではなく「卒婚」というスタイルを実践しようとしているのです。
「卒婚」とはなにか、ということについてはブログを読んでいただくとして、ともあれブログ主さんは「卒婚」のルール決めを行おうとしているのですが、問題になっているのが、そう、酒であります。ブログの中に以下のような、夫さんの酒量に関する記述があり、笑っちゃいかんですが思わず笑ってしまいました。こうしたやりとりが、ある種「文学」になっているところがすごいです。
これはシンプルに冷蔵庫のドアポケット部分に入るビール8缶を3日分にする、という事で決定。(どういう配分で飲もうが夫の自由)
最初は4日分にしたかったんですが・・夫が「絶対に足りない」と粘りに粘ってくるので譲歩しました。
以前は多い時はビールのロング缶4本にワインのボトル2本を空けることもあったし続けられればだいぶ酒量を抑えられるのではないでしょうか。
そう、続けられれば、ね。
先手を打って「隠れて飲んじゃうぐらいなら、相談して欲しい」と伝えておきましたがいろいろ隠したがる人なので懸念はあります。
(改行は引用者都合)
これねー、すごーくすごーくすごーくよくわかるんですよ! 夫さんの気持ちが。夫さんがアル中までいっているのかどうかわかりませんけれども、アル中、あるいはそれに近づいている人間にとって、酒を制限されることは、単に酒がこれまでのように飲めなくなるということを超えて、なんというか、自分の拠って立つところを失う、大げさではなく、アイデンティティの喪失を意味するんですよ。威張って言うことじゃないですが。
それで、酒飲みというところの者は、そういう“非常事態”に陥ったときに、かつてないほどのスピードで、それこそ取調室でなんとか自分のアリバイをでっちあげようとする犯人にも似た速さで頭を回転させ、どのように自分の有利な状況に持っていくか、どのように嘘をついて無制限に飲むかということを必死で考えます。
一方、ブログ主であるカピさんの気持ちもわかります。
でも誰だって嗜好品を制限されたらイヤですよね。
私は今まで夫にひたすら飲むな飲むな、控えろ控えろと頭ごなしに言って依存症呼ばわりしていたのでそこは少し姿勢を変えて
「好きな物はなるべく長く楽しんでほしいから」「身体を壊さなければ一生飲み続けられるんだよ」
という、酒自体を辞めさせるのではないよ、という方向でじりじりと減らして行く牛歩作戦に切り替えました。
(改行は引用者都合)
私もこの手のことは非常によく言われておりました。
で、どちらの言い分に分(?)があるか、だとか、この先どうすればいいか、といったことについて考えるのは、画に描いたような余計なお世話なのですけれども、ただ、こうした会話を読んでいて感じるのは、酒というものは、夫婦間の一大問題になるものなのだなあ、ということです。いや、他人事ごとのように言ってますけど、私の場合も一大問題でした。
夫婦をゴーオンしていくだけでも相当なエネルギーを使うのに……
そもそも夫婦なんて、赤の他人が一緒に暮らすのですから、それだけでもものすごいエネルギーを必要とするものです。いや、マジで。
で、そうしたところに酒という存在が横たわると、たとえば卒婚ブログの夫さんのように、「4日で8本」を「3日で8本」にしてほしいというふうに交渉する局面も出てきます。でもそれってものすごーくエネルギーを使うことで、交渉が終わったとたんに酒を飲みたくなるほどです。
上手く言えませんけれども、夫婦の関係を維持するために基礎的なエネルギーを使い、それに加えて大量飲酒習慣があると、さらにオプションとしてのエネルギーが必要になる。そして、大量飲酒はおうおうにして経済的問題も引き起こすので、この二つが「×」になると、夫婦を維持するためのエネルギー量は指数関数的に増大してしまい、それに思いをはせるだけでぐったりしてしまいます。
なんかねー、上からで申し訳ないんですけれども、馬鹿馬鹿しいんですよ、そういうことが。酒を飲むだけなのに、いろんなことにエネルギーを使わなければいけない。そこにあえて変数と言わせてもらいますが「夫婦」という変数が入った場合なおさらですよね。あーめんどくさいめんどくさい。
で、ここから導き出される結論(?)は、ですね、断酒後ある程度の期間――私の場合は半年ほどですが――が経過すると、酒を飲むことに使うエネルギーに思いを馳せるだけで、もう飲みたくなくなる時期がくる、ということです。その場合は、夫婦のきずなの強さみたいなものが、「飲みたくなくなる」ことに対しての、いい意味での「変数」として作用するのではないでしょうか。