明石散人氏がバブル崩壊直後に提唱した「風呂おけ理論」。その真逆のことが今、日本に対して行われようとしているという妄想(笑)。

酒やめて、1388日。

今日も一作日の続きというか、日本における失われた30年とグローバル化ということについて私の考えを述べさせていただきたいと思います。もちろん飲酒、断酒も絡めてですが。

これは一昨日書いたこと以上に妄想の類だという思いもあります。ただ、個人的にはずっと昔から考えていて、あるいは今後、この稿をもとに紙媒体に発表させていただくかもしれません。ですから備忘録的に書いてみたいのです。自己都合で申し訳ありませんが、お付き合いいただければ幸いです。

グローバル化なんて、なーんもいいことない!

前回前々回と、グローバル化によって日本は貧乏になってしまったということを主張(?)しました。そしてそのアダ花のようにストロングゼロ(に代表される高アルコールRTD缶チューハイ)が存在しており、貧困のなかストゼロだけが楽しみといった生き方(まさに昔の私)をするのは悔しいぞ、といった趣旨で書いたつもりです。だから断酒してよかったんだ、と(笑)。これは、失われた30年を演出した連中に対するささやかなレジスタンスなのであります( -`д-´)キリッ。

で、そのグローバル化ということについて、たとえば移民のことを考えてみます。外国からやってきた労働者は大抵の場合、社会的に一番下のポジションに就くのが原則でした。これは差別でもなんでもなく、資本主義社会の一大原則だったはずです。ざっくり言えば。

アメリカは自由の国だと言われ続け、海外からの才能を心広く受け入れる国といったイメージがありますが、どんなに才能や実力があってもまずは一番下のポジションからスタートし、のし上がっていくというのが70年代までのアメリカンドリームでした。ですから移民の方は大変な苦労をしたわけですよね。

でも今は違います。たとえ海外から流入してきたばかりでも、実力に見合った待遇が要求されます。それがグローバル化ということだと思います。ですから日本の若者たちは海外からのワーカーと雇用やポジションを争う羽目になっているのですよ。これは一人の親としては、なんだかなあな事態です。

で、もう一つ怖い点があって、これが一番言いたくて、けれども上手く書ける自信がないんですけれども、とにもかくにも論理展開(?)してみたいと思います。

今、日本は世界の先進国の中で相対的に貧乏になっているけれども、でもたとえば土地ということを考えてみると、それを取り巻くインフラなどはめちゃ整っているわけですよ。そして何よりも治安という貴重な社会基盤が日本にはある。そうした付加価値を海外がどのように捉えるか、ということですよね。そこに大きなビジネスチャンスがあると考える勢力があってもおかしくないです。

この辺のことを昔、小説に書いてみて箸にも棒にも掛からなかったのですが、興味がある方は読んでみていただけると嬉しいです(「ハーメルンの笛吹き・後日譚」)。

秀吉は天才経済学者だったという明石散人説

実はその逆のことをやろうとしていたのが豊臣秀吉です。秀吉は海外の土地に付加価値を付けるということを思いついた、世界で初めての為政者だったのでしょう。

これを提唱しているのは歴史家の明石散人氏です。著作である『日本史千里眼』からちょっと引用してみます(初出は違う著作だったと記憶していますが、手許にはこの本しかないので)。

秀吉の大明出兵はものすごく計算されていて矛盾がない。秀吉は天皇を北京に動かすことで大明用の入浴剤を作り、これによって日本と同じ心地良い風呂を造ろうとした。

ここでの大明出兵とは、教科書などには朝鮮出兵あるいは文禄慶長の役と記されているものですが、秀吉の目的は中国、当時の明にあったことは今ではよく知られるようになっています。

ともあれ、これが記されたのはバブル崩壊直後で、明石氏はバブルという現象を説明し、バブル後の日本の処方箋のヒントとするためにこのような理論を展開しています。

それにしても秀吉がこのような構想と感覚を持っていたとしたら本当に凄いことですよ。そして秀吉没後400年以上経って、逆の方向でこれが現実になろうとしているのではないか、という危惧というか妄想を抱いてしまうのです。

日本の有形無形の社会基盤は、グローバル世界で大きな価値があるものです。それが日本が相対的に貧乏になっているおかげで、価値と価格にかなりのギャップが生じている。そこに今、中国が目をつけているという現状があるのではないでしょうか。大明出兵のときとは真逆に。

妄想の類でしょうかね。だったら良いのですが。しかし現実にはそういうこともあり得ると私は個人的には思います。グローバル化の中で貧乏になるということは、かなりの悲劇が待ち受けていると言えるわけですよ。

社会基盤価値のグローバル化(≒風呂おけ化)というものすごい時代の変革が来ると思います。そうした中において、個人的に何ができるのか分かりませんが、酒を飲まないことも、ささやかながらできることの一つではないか、と(笑)。

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