断酒してしみじみ思う。人生で使えるエネルギーの総和は決まっているのだ、と。

酒やめて、1221日。

酒やめると自己設定タスクがサクサクと!

コロナ禍で一時はどうなることかと思いましたが、ここに来てようやく経済が回り出したようで、売れないフリーランスの私も出張続きでした。がんがん仕事して失われた二ヶ月間を取り戻さくなくては、マジで干上がってしまいます。

ただ、この土日は久しぶりに家にいたので、なんと網戸の張り替えをしてしまいました! やってみると案外簡単なものです。それに今は、動画を含めてその手のことをわかりやすく解説したサイトがネット上に山ほどありますからねー。その意味でもハードルが低くなっています。

この他、風呂掃除もしましたし洗濯もしました。原稿書きの仕事もしましたし、このブログも書きました。ついでに10キロランもしました。もう、飲酒時代では到底考えられないような膨大な量のタスクですよ。普通の人にとっては普通でしょうけど(笑)。

で、日曜日の夜、ランから帰ってきてソファーに寝そべって、このブログを口述筆記している次第であります。

いやーそれにしても酒やめてから、仕事家事含めこうしたタスクが非常にサクサクできるのです。繰り返しますが私にしては、ですが。

高校の教師がよく言っていた「当たり前のことを当たり前にやれ」。これ、ですね。ジジイになって酒やめてそういうことがようやくできるようになりましたよ、先生! てか、そう言ってた先生は、そのような人生を送っていたのだろうか。もし、アル中(あるいはアル中気味)を克服してそういう発言をしていたら、教育者として「神」の領域ですねー。

しかし、タスクをこなせば当然ながら疲れます。そういう時は無理をしません。今日やるべき量をあらかじめ低く見積もっているので、それだけできれば御の字というスタンスです。

少なく見積り、確実にやろう大作戦ですね(笑)。

これは、よくいうところの「無理が効かない歳だからねえ」になるのでしょう。そしてオーバーワーク気味になるのを「年寄りの冷や水」といいます。ま、そのあたりのバランスが、酒やめて徐々にわかってきました。

酒飲むくらい無駄なことはないという結論になってしまいます

さて、ここで思うのは、この貴重なエネルギーを、飲酒時代は酒を飲むことに費やしていたわけですよ。「おーこわいこわい」とは、まさにこのことです。

いつも書いていますが、酒を飲むと、何も生産的なことができないのにも関わらずエネルギーだけを膨大に使ってしまいます。酒飲で肝臓を痛めつけ身体的なエネルギーが奪われることもありますし、リスクマネジメントのための精神的なエネルギーも必要(そうでなくては破滅してしまう)という、二重の意味でのエネルギーの無駄使いです(参考「酒を飲むのにも、膨大なエネルギーが必要なのです」)。

そう考えると、本当にもったいないです。

この歳になってしみじみ思うのは、ひとりの人間が人生で使えるエネルギーの量は限られているのだ、ということです。人によっては違うでしょうけど、一人ひとりにとってみれば増やすことはできない有限資源なのです。

それを、酒を飲むことに費やしてしまうなんて、何度も言いますが、こんなもったいないことはないですよ。

そしてそこに気づくのが早ければ早いほど、有益なことに使えるエネルギーも多くなるという構造ですよね。網戸の張り替えくらい、生涯で何百枚とできちゃいますよ。

そういや今思い出しましたが、東大にはふすまの張替えをするふすまクラブというものが存在しているとか。東大生の、宇宙の真理に思いを馳せる頭脳にとっては、張替えの段取りはちょうどいいリフレッシュのかもしれません。

半分脳が溶けてる元アル中ジジイにしても、網戸の張替え段取りは、いい頭の体操(認知症予防)になったと思います(笑)。ま、それができるのも、酒やめたからですね。

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