今の日本人は飲酒に関して「壮大な実験」を行おうとしているのかも、という話。

酒やめて、3298日

マタンゴとして生きたほうが幸せか?

一つ前のエントリで、父のことについて書かせていただきました(参考「断酒したその時点で「メタ認知」はできているのだ」)。繰り返しになりますが、今年90歳になる父は2年前ほど前から酒をやめていたところ最近とみに飲みたがっており、どうするかプロブレムが発生しています。むろん医者は飲むと認知が進行すると言っているのですが、でも90歳なら進行してもいいじゃないか、とも思います。そして現在入居している老人ホームで手に負えなくなって、たとえば精神科で最後を迎えたとしても、それはそれで仕方ないという考え方もあるでしょう。

この辺、たとえは適切でないかもしれませんが、『マタンゴ』に似ています。東宝のSF映画です。詳しくは過去記事「あなたの顔から生えているマタンゴ、他の人に見えてますよ!」を読んでいただきたいのですが、マタンゴという禁断のキノコを食べてマタンゴという怪人(?)になったほうが幸せなのか、また周囲の人間がマタンゴになるなか、人間として生きた方が良いのか、というのは、わりと本質的な問題です。

そして、こうした問題に、今の日本人は直面しているのですね。どういうことかというと――。

今、飲酒習慣がある人は、「俺は酒をコントロールできる( -`д-´)キリッ」の自称適正飲酒者はもちろん、アル中またはそれに近いという自覚のある人も、基本的にはこのまま死ぬまで飲み続けようと考えているでしょう。むろんアル中時代の私もそうでした。

そしてそれは、自宅で死ぬことが前提になります。老人ホームは基本的には酒NGだからです。ついでに言えば、我々世代においては、自分が入居を考える頃には民間の老人ホームは中国人だらけで、日本人には高嶺の花になっていることも充分に考えられますね(嘆息)。

「死ぬまで楽しく飲める」かどうかは誰にもわからない

それはともかく、では、自称適正飲酒者の主張(?)である「俺は死ぬまで楽しく飲める(お前と違って)」かどうかは、これは誰にもわからないと言っていい。いや、昔はそういう人は多かったと思うんですよ。平均寿命が75歳程度でしたから、毎日飲んで自宅で死ぬ、あるいは最後の数か月だけ病院で、というのが一般的だったかもしれません。ところが今や、平均寿命が決定的に伸びてしまっている。そこに日本人特有の問題も加わります。

それは、日本人をはじめとした東洋人は酒に対する耐性遺伝子が弱いということです。酔っ払いやすいわけですから、当然ながら酒によって認知も進むでしょう。

つまり世界ナンバーワンレベルで長寿×世界ナンバーワンレベルで酒に弱い(酒の影響を受けやすい?)日本人が、死ぬまで適切に飲むということができるのかできないのか。今、壮大な実験を行っている最中ではないかと考えるわけですよ。あるいはそれは、象が針の穴を通るようなものなのかもしれない(皮肉)。

そして、その壮大な実験に参加しない、その壮大な実験から降りてしまうというのも、一つありますよね。生き方として。

原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。

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