酒やめて、3288日

飲んでた時代は、周囲も飲んだくればかりだったけど
実は本日2026年2月3日で酒をやめて9年になります。9年前の2月4日にアルコール性低血糖で倒れ、それが朝だったので結果的にその日は朝から飲まず、つまり今日でまる9年です。
酒をやめた経緯については、このブログでも何度か書かせていただいたので省きますが、せっかく(?)9周年なので、ちょっと本質的なことを記してみたいと思います。誰にも頼まれていませんが。
えーと、ですね、この辺のことも度々取り上げていますが、学生時代の友人などと会うと、酒飲まなくなった人が案外多いことに気づきます。あるいはめっきり酒量が減ったというパターンです(参考「若者の酒離れと言われるけれども、おっさんおばさんも案外飲まないのだった」)。いやいや、飲んでくれた生活をしていた挙句にアル中になり、そして強制的に酒をやめた身からすると、うらやましいというか、そういう人が世間に多いことがちょっと信じられません。
というのは、酒を飲んでいた時代は、周囲にそのような人間がいなかったからです。当然と言えば当然です。こちらは飲む相手……というか、飲んでくれる相手を探して飲んでたわけですから、相手も飲んだくれということになります。これが本当の類は友を呼ぶというやつでしょうか。そして、飲まない人とは接点を持たないようになっていました。これも、アル中あるあるですね。
その背景(?)には「業界問題」もありました。現役時代は、付き合いは「仕事仲間」が中心になります。少なくとも私らジジイ世代ではそうです。
私が所属していた業界は、いわゆる「飲む業界」で、あの人、酒で死んじゃったよー、みたいな話も度々聞くといった状況でした。飲むのが当たり前で、逆に言えば、飲まなきゃやってられねえ(仕事)みたいな雰囲気があり、そして仕事仲間の元飲み仲間を見ると、やっぱり未だに飲んだくれてる人間が多いです。
「アル中→断酒」は人生の回り道ではない
ところが酒やめて、現役もほぼほぼハーフリタイヤといったかたちになり、学生時代の仲間とお互い暇がゆえに接点を持つようになると、つまり業界から脱すると、先に記したように、案外に飲まない、飲まなくなった人間が多いことに気づくのであります。
「飲まなくなった」を、酒との付き合いにおける「軟着陸」としましょうか。そうしたことができた人は、人間の生き方として「まとも」であることは確かでしょう。では、アル中→断酒の人間はどうかというと、それに比べて生き方として回わり道をしたのは事実ですが、ただ、無駄ではなかったのかなという気がしないでもないのです。
これまたいつも書いていて恐縮ですが――9年だから話がループになるのも当たり前といえば当たり前だと開き直ってしまいますが――やっぱり断酒という行為は「自分1.0」にバージョンアップさせてくれるからです。
屁理屈かもしれませんが、受験などと対等な位置にあると考えてもいいかもしれません。受験は「昨日の自分を超えていく」行為であり(参考「受験以上に「昨日の自分を超えていけ」にあてはまる行為といえば」)、同じことが断酒にも言えます。この経験が自分を成長させてくれると、9年経ってやっと思えるようになったと言いましょうか。このように書いていると綺麗事すぎて自分でも鼻白んでしまうのですが真実でもあります。
ともあれ、「アル中→断酒」は人生の回り道ではなく、良い経験、神が与えてくれた成長のチャンスだというふうに捉え、そのように確信することが、これからも酒を飲まない理由になると考える所存です。とまあ、ジジイが決意表明したところで先も短いのでナンなのですが、少なくとも良い経験をしたと思って死んでいけるのではないかと。
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