酒やめると楽観的になれる。というよりも、楽観と悲観の仕分けができるようになる。

酒やめて、3281日

楽観が有利か、悲観が有利か

酒をやめると、楽観的に生きることができるようになるといいます。この医学的理由として、幸せ物質と呼ばれるセロトニンの生成能力が復活するから、とされます(ざっくり)。逆に言えば、酒を飲む習慣があると、セロトニン生成が抑えられるわけですよね。

なので鬱っぽい人は、酒をやめるのが一番というふうにも言われますし、私の父がまさにそうでした。母を亡くしてかなり鬱だったのですが、それに輪をかけていたのは飲酒習慣だったことは確かです。今、酒をやめて2年ほどになりますが、落ち込むことはなくなりました。

また私の仕事仲間の証言によれば、酒を飲まない彼の友人(フリーランス)も、リーマンショックや東北大震災などで一気に仕事量が減った場合でも、まあ何とかなるよと言って大きく構えていたといいます。

とまあ、ほんの二例でエビデンスにならないかもしれませんが、酒をやめるとは、悲観ベースで生きることから楽観ベースで生きていくことへの転換、と一応は言えると思います。

一方で人類は、悲観遺伝子でサバイバルしてきたという説もあります。すなわち、悲観的に考えて行動する個体のほうが適者生存に有利だったということですね。

この二点をどのように説明するのか。誰にも頼まれてませんが、解き明かして(?)いきたいと思います。

飲酒習慣は、人生の逆張りを促す!?

世の中というか人生には、確かに楽観主義だとヤバいケースがあります。自動車の運転がその典型です。よく教習所の講習などでは「だろう運転の禁止」が言われます。だろう運転とは、周囲の状況を「歩行者は渡ってこないだろう」「対向車は止まるだろう」などと楽観視し、そのリスクを排除して走行するものです。こうなればいいなという自分の都合で考え運転することで、これは楽観主義というよりも自己チューにつながるかもしれません。そして「だろう」で大丈夫だったという成功体験を重ねた高齢者が自信過剰になり、事故を起こしやすいという構造になっています。

一方で人生には、楽観主義で行った方が良いこともあります。たとえば、先に挙げたように、何か外的要因で仕事を減ったときの対処です。つまり、自分の力でどうしようもないことは、あれこれ思い悩んでも仕方なく、楽観するしかないということは言えると思います。

で、ここからが主張したいところなのですが、酒をやめると、悲観主義で行ったほうが良いことと、楽観主義で行った方が良いことの仕分けが非常にクリアになってくるのですね。自分がなんとかすれば何とかなるケースは最悪を想定しながらマネジメントしていく。自分の力でどうしようもないようなことはいろいろ考えない。「いろいろ考えない」には、いつも書いていて恐縮ですが、酒をやめると「諦観」ベースで生きていけることが大きく関与すると思われます(参考「酒やめて生まれる「諦観」は人生の最大の武器になりえます(たぶん)」)。

そして、この悲観と楽観の使い分けがはっきりしてくるというのが大きいと思うのです。

いやまあ、こんなことはわかっている人はわかっていて、意識するしないに関わらずやっていることなのかもしれませんが、飲酒習慣が深まると、ここがまったく逆になるのが怖いんですよ。

つまり、現実的に気をつけなきゃいけないことは気をつけなくなる。自分だけは大丈夫という正常化バイアスに酒さんがどんどん輪をかけていく。だからマネジメントができなくなる。一方で、考えても仕方のないことに対してくよくよ考えるようになる。人間関係などについてもそうですね。

そうした異常事態(?)を再び元に戻すのが断酒という行為なのでということを言いたいのでありました。

原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。

カテゴリ別インデックスページはこちらです。

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする