酒やめて、3162日
飲み過ぎると、「自慢」が多くなる!?
一つ前のエントリで、メタ認知するための反面教師として、アル中、アル依に限らず、毎日のように酒を飲む人間全般の「俺だけは大丈夫」があるということを紹介させていただきました(参考「酒やめて、「上級人類」になろうというご提案」)。
いや、ほんとにね、これは不思議なくらいそうなんですよ。むろん私もそうでした。なぜか自分だけは脂肪肝→肝硬変などという「弾」に当たらないと思ってしまうのです。
これがそのような身体に関することだけだったらまだいいんですが(よくはないが)、人格すべてに及ぶのが、まったくもって怖いところであります。
この辺は、アル中→断酒大先輩の小田島隆さんも『上を向いてアルコール』で活写しております。
実際アルコールで頭おかしくなって全然引き返せなくなった人たちの中には、オレは必ず成功する、みんなオレの実力を知らない、そういう自己肥大妄想に浸っている人たちがけっこういます。(中略)会って話すと自慢話ばっかりしていたりするんです。
(引用前掲著・行替えなどは引用者都合)
まさに、酒は人格を魔改造します。その結果、小田嶋さんの指摘通り、自慢話が非常に多くなります。
これは、酒による業務遂行能力の劣化によって業務で認められることがなくなり、承認要求を満たせないという理由もあると思います。だから、ことさらに自分でアピールしてくるというパターンですね。
このように、「俺は大丈夫」で、酒を飲む理由にそれを持ち出すだけだったのが、やがてそうでなくなるというのがマジ怖いのですよ。繰り返してすまんが。
飲み過ぎると、「こだわり」が強くなる!?
さらに小田嶋さんは続けます。
酒飲みの中には、概ねまともなんだけど、このポイントだけはこだわりが強すぎるという人がいるじゃないですか。(中略)あれもきっとアルコールの何かの作用だと思う。何かのポイントのところで、その考え方の柔軟さがゼロになっちゃってます。
そう。まさに「こだわり」も、酒による人格魔改造のティピカルな例であります。
こういう症例(?)って、通常加齢とともに起きるものですが、それが、加齢関係なく起きてしまうのですね。そしてここに加齢が加わると、うーん、考えたくもないです(汗)。
なので、酒が、日本社会に迷惑なおっさんを大増殖させている元凶なのかもしれないとも思います。
そしてそのテの輩はこれまでだったら、ある程度、社会全体の豊かさの中で、あるいは若い人の我慢といったことの中で許容されてきた。
これを若い人から見ればどうかというと、以前の日本社会なら、我慢すれば、終身雇用の中での昇給や出世など見返りがあったけれども、今は、そんなおっさんの理不尽な「自慢」だったり「こだわり」に耐えても何の見返りもない社会なので、我慢する必要がない、ということになる。
これを再びおっさんから見ればどうかというと、要は「糾弾」されやすくなっているんですよ。つまり、酒によって魔改造されたアタマでは生きにくくなっている。そしてその生きにくさが自分を苦しめる。まあなんにしても、酒によって人格魔改造される前に、やめるに越したことはないという結論になりますわ。
と、このテのことに「こだわって」書いてる私も、魔改造済なのかもしれんが(悲)。
原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。
カテゴリ別インデックスページはこちらです。