酒やめて、3029日
「よく遊べ」は今日においても正義か
私事ながらうちの娘のSNSを時々チェックしています。親としてのパトロール(?)ですね(嫌な親だなあ)。そうすると、仲間と遊びましたー! みたいないわゆるパリピ的アピールがやたら目立つのですわ。
若いので当たり前ちゃー当たり前かもしれませんし、お前の若い頃はどうだったんだと問われれば、やっぱりそれに近いことをしていたと思いますが、そのパリピ的な生き方の意味が今の時代、かなり変わってきているのではないか、ということが今回のテーマであり(大げさ)、そしてパリピ的生き方には当然ながら酒も大いに絡んできます。
なので、娘に対して言いたいことは多々あれど、しかし彼女は「パパの言うことを聞いたら負けだと思っている( ー`дー´)キリッ」という人生観(?)を元妻からしっかり植え込まれているので(ひがみ)、直接言う代わりにここで書いてみようという次第でございます。
さて昔から「若い頃はよく遊べ」ということが社会通念としてありました。それは「よく遊べ」を通じて、他者の知見を身に付けなさいという教訓(?)もあったのでしょう。ただその点において、今はずいぶん状況が違ってきているのでは、と考えるわけです。
むろん「よく遊べ」は、純粋にレジャーというか楽しみという点では昔も今もその価値は変わらないでしょうし、友人の人間性に触れるという点でも意義あることでしょう。ただし他者の知見を自分のものにして視野を広げる、あるいは人脈をつくるという意味では、その価値はかなり小さくなっているのかなあと思うのですよ。
酒の上でのコミュニケーションの地位低下
その背景には、生成AIの存在もあります。知見を身に付けるということであれば、生成AI相手に壁打ちした方がネット上にある世界中の知見を引き出すことができ、それは自分の仲間の狭い範囲とは違うものがありますよ。私などの仕事でも、スタッフ会議(おうおうにして飲む口実になりがち)なんかするよりも、誰か一人でAI相手に企画を練った方が良い企画が生まれるというふうに変わってきています(「烏合の衆」の逆説実証!)。
また人脈を広げるということにおいても、「知り合い」の範囲だけでなく、ネットを使ってそこでつながる方法があるというのは、これはもう以前からそうでしょう。
なので、酒を飲んでパリピする意味の3分の2ほどが失われているというふうに考えてもいいかもしれません。「よく遊べ」の効用がめちゃ小さくなっている。
酒を飲むのも「楽しい」だけに特化し、もう酒の上でのコミュニケーションが仕事に役立つといったことはなくなっている世の中だということですよ(いや、昔から酒の上での仕事の話なんて、実際には何の役にも立ってなかったのですが)。
早めにその辺に気がついて、自分の人生戦略を立てるということがやっぱり必要なのかなあ、と。そして若いうちからそこに気づいた人とそうでない人とでは先々ずいぶん違ってくるんだろうなあということを、パパとしては考えたりもする次第でございますよ。言わん(言えない)けど。
原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。
カテゴリ別インデックスページはこちらです。