パチンカー「俺は勝ってる」と飲酒者「俺はコントロールできている」は実に似てるよねという、性格悪げな話。

酒やめて、2955日

ギャンブルは公営が一大原則のはずだが

令和ロマンの髙比良くるまさんに端を発した(ように見える)オンラインカジノ問題ですが、プロ野球選手にも広まっていたことが明らかになりました。オンラインカジノにはスポーツベッティングも含まれているそうで、むろん野球賭博をやっていたとは思えませんが、ただ現役の野球選手がそうした世界に足を踏み入れていたとなると、単なる賭博問題では済まない可能性があるかもしれません。

今のところプロ野球界もオールドメディアも、大した問題やないでえーというスタンスのようですが、そうなのか、と性格の悪い人間としては考えてしまいます。

スポーツ選手の場合はそうした特殊性があると思われますが、一般人がこのような賭博に手を出したらなぜいかんかといえば、反社会勢力の資金源になるからですよね。だから「ギャンブルは公営」が一大原則となっていて「上がりは福祉などへ」ということでしょう。ちなみにオンラインカジノはカジノ合法の国が胴元になっているケースも多いそうで、それだと他の国の「福祉」のために日本人がお金を払っているわけで、これって新手の国家間収奪やん、とも思ってしまいます。

ともあれ公営が原則の中、パチンコだけは例外の私営ギャンブルであり、なぜかその存在を見逃されています。そしてパチンコで破滅する人を日々生んでいます。なくならないのは警察官僚の天下り先だからという話もあり、この辺もやっぱり闇ですよね。

とまあそんなことを断酒ブログで言っても詮ないのですが、パチンコにハマっている人たちがよく言うのは「俺は勝っている」です。これは、わりに例外なくそうです。私の知っているパチンコ好きたちはそれほど身を持ち崩している感じもしないので、事実なのかもしれませんが、揃いも揃って「勝っている」はやはり不思議ですよ。それじゃあパチンコ屋がなくなるやん、と性格悪く皮肉なことを考えてしまいます。

本当にパチンコや酒に「勝てる」のか

さて、ここからが本題でありまして、そう、飲酒者の「俺は飲酒をコントロールできている」てやつも、パチンカーの「勝っている」にヒジョーに近いものがあるように感じますねー。

しかしなんで訊かれもしないのに、わざわざ「コントロールできている」とアピールするんですかねー。まったく不思議です。そして、こと対ワタクシの場合、「昔のお前と違って」が付加されるわけですよ。ムカつきます。だから、このようにブログに書いてしまうわけですが(性格悪い)。

で、パチンカーにしても飲酒者にしても、パチンコや酒といった対象物よりも「勝っている」「コントロールできている」と、自分を「上」に位置づけているのです。これってなかなか興味深いものがあります。

パチンコに関していえば、ギャンブルというものは長い目で見れば絶対に胴元が勝つことになっていますから、それよりも自分を「上」に置くという発想は、「絶対」への挑戦と言ってもいいかもしれません。比喩ではなく錬金術と同じです。

そして、酒……は、どうなんでしょうか。「酒から逃げ切れた人、逃げ切れない人、わざわざ捕まりに行く人」に書いたように自然に離れられる人はいても(これはパチンコでいえば「パチンコってどこがおもしろいの?」に似ている)、「コントロールできる」つまり酒さんよりも「上」に位置できる人はいない、それもまた「絶対」への挑戦なのではないでしょうか。ギャンブルと同じように。

伝説の賢者「そうか、コントロールできている、か。しかしわしはもうかれこれ数千年も人間の営みを見てきたが、そんな者は一人もいなかった。お前が初めての人間になるわけだな。ふふふふふ……」

というやつです。

とまあ、そんなことを冷ややかに考えるのも、また断酒モチベーションになります(性格悪い)。

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