「上流は労働し、下流は消費する」←これ

酒やめて、2764日

勤勉と真逆の価値観を持っていた中国人富裕層でさえ……

一昨日のエントリ(参考「自炊を続けるために酒で気力を失うわけにはいかないのだった」)で、貧困コンテンツ化の先駆者ともいえる三浦展先生の論を引用させていただきましたが、三浦先生はまた「上流は労働し、下流は消費する」とも言っています。

要は、自分で考えて自分で行動する人が社会の上のほうに行くということですよね。自分で労働しないことこそ美徳という価値観を長きにわたって保持していた中国の富裕層でさえ、このような欧米的価値観に基づき動き出しています。それに伴い体形も変わってきているという話も以前させていただいております(参考「中国の富裕層のルックスが変わってきた件。これが何を意味するのか」)。

余談ながら、中国の歴史において「自分で労働しない」という朱子学的な価値観とは真逆の教え――日々の勤勉の中に修行がある――をもたらしたのは曹洞宗でしょうけど、この考え方は日本において大いに浸透したけれど中国では受け入れられませんでした。

そして朱子学的価値観は上下をはっきりさせることが根本にあります。つまりマウンティングするのが「お仕事」です。だから日中友好などと言いますが、それはあくまでも中国が上で日本が下という中国が考える秩序の中での友好なわけですよ。対等なんてありえないと中国人は素で考えています。互いの文化を尊重し理解し合うことがいかに夢物語であるかが分かります。これはもう民族の骨身に沁みたメンタリティの問題なので、宗教ベースの対立解決と同じく政治≒話し合いでは絶対に達成できないと確信します。イスラエルとハマスに話し合えと言っても無駄なのと同じでしょう(世界中で本気でそう主張しているのは日本のメディアだけかもしれん)。

酒さんによって時間と気力を奪われると……

とまあ、そんなことを断酒ブログでリキんで言っても仕方がないので論(?)を戻すと、勤勉がグローバル基準になりつつある。労働しないのを美徳としていた中国人の上層でさえ労働にシフトしている。これにはやはりIT化やAI化が関連しているのでしょう。

ところで先の朱子学的価値観は日本にもあって、たとえばプログラミングというものを、日本人でもある年代以上の文系高学歴者は見下しています。IT系は人に訊けばいいんだ人に任せればいいんだという尊大な態度を取っている人が実に多い。そういうことが実際にできる立場にいる人はいいけど、そうでない人までそのようなスタンスなのでまったく鼻白んでしまいますよ。また大学などにも、リベラルアーツのほうがプログラミングなどの実学よりも上という抜きがたいメンタリティがあるように見えます。そしてそうした「勢」がおうおうにして中国シンパなのも、朱子学ということを物差しにすれば納得できるというものです。

ともあれ、そうしたインテリたちの思いに反して(?)、IT化AI化を背景に、作業量ベースの労働ということと人生上手くいくいかないことがますます密接に結びついている今、その作業に必要な気力と時間をそいでしまう酒さんの悪影響も、これまで以上に人生上手くいくいかないに結びつく。すなわち飲酒習慣が労働の質の向上ということ媒介にして人生とより親和性が低くなっているというふうに考える次第でございます。

カテゴリ別インデックスページはこちらです。

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする