酒を飲みながら夢やビジョンを語る矛盾。

酒やめて、2640日

酒飲まなければもっとできるよ

一昨日、「「酒飲んでいてもちゃんと仕事してるから」←コレ」を投稿しました。伸びしろの多い人ほど酒やめる価値があるのです。逆に言えば、「俺は酒を飲んでもちゃんと仕事をしている」とアピールしている人は、その伸びしろ分を無駄にしつつあるということです。余計なお世話ながら。断酒er界隈でよく言われるところの「酒をやめればもっとできる」です。

そしてこの局面というものは、いわゆるICT時代になってますます真実味を増していると思いますよ。

以前であれば、酒飲んで交友を広げ、そこから何か新しい仕事が始まるといったこともあったかもしれません。小説などでは、酒を酌み交わしたあげく、よーし君に投資しよう! みたいな話も出てきますよね。ただ現実には、寡聞にしてそんな話は聞いたことがありませんが。

ただし、ざっくばらんなブレストの中から新しいアイデアが生まれましたー! みたいなことは企業ストーリーとしてよく語られるところではあります。そこに酒が入るとブレストも何もないやろーと断酒er的には思いますけれども、コミュニケーションの中で何かが生まれてくる、その潤滑油として酒があるという構造は、一応はあったと言えるのではないかと。これまでは。

ただし現在において、すなわちICTの時代においては、これもいつも書かせていただいていて恐縮ですが作業量勝負です。すなわちICTやネットの力を利用して新しいことを始めようと思うと、そこに大量の時間をぶちこむ必要があります。

そして、その大量の時間を奪っていってしまうのが、酒さんというところの者なのですねー。

飲んで語ってないで、さっさとやれや

何か始めるにあたって必要となるものが、ざっくばらんな交流から時間やロジックへと移ってきている。そのことが私のような文系脳でも分かるわけですよ。

翻って「酒を飲んでもちゃんと仕事をしている」とアピールしている人間は、酒飲みながら、俺のビジョンはー、とか、こんなアイデアがあるんだーみたいなことを語りがちです。実際にそういう人がいます。

と、他人のことを批判しておりますが、むろん私も飲酒時代はそのクチでした(威張って言うことじゃないが)。酒飲んで、いやー俺っていいこと言うよなあ、いいこと思いつくよなあと自賛しつつ、飲んだ翌朝にはその「いいこと」もすっかり忘れていているという例のパターンです。

これはこれで、先ほどの輩の、飲んでビジョンを熱く語ることとはまたちょっと違って可愛げがあるような気もしますが(身勝手)、ともあれ今は、酒飲むこととビジョンというのは共存しないのですよ。

そんなに語るぐらいだったら酒飲まずにさっさと始めろーてなもんですよね。だって、できる環境は整っているのですから。

したがって飲みながらビジョンを語るということは矛盾をはらんでいる、と。余計なお世話ながら周りにそういう人間がいて、そういう「語り」を聞かされ迷惑なので、あえて言わせていただきました。

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