酒やめて、2630日
酒飲んでいた時代は、いつも疲れていたのだった
一昨日、「酒さえ飲まなければ、あとは何をやってもいいんだという(勝手な)開放感」といった話を書かせていただきました。そこからまた一歩、論を進めると(?)、酒を飲んでいないのだから、酒飲まずにやることすべてが、自分の将来に対してなんらかのよいエフェクションを持つのだ、ということにあいなります。
たとえば、「ぼーっとする」についてです。
思えば酒飲んでいた時代は、なんだか常に疲れていて、飲んだ後はもちろんですが飲んでない時でもソファーに倒れこむ、みたいなことがよくありました。そしてそのまま寝てしまったり、放心したりしていました。
これは要するに、身体や脳が酒飲んで疲れたから休ませてくれー! と言っているわけですよね。そのぼーっとしてる時間というのは回復のための時間だったのです。マイナスからゼロにする、あるいはマイナスの分量を少なくするための時間だったとも言えるでしょう(威張って言うことじゃないが)。
酒をやめている今は、そもそも身体が疲れるということはあまりないのですが、ただ仕事をしていると、私の仕事でも脳はやはり疲れます。そうすると、自宅勤務のフリーランスの身の上なもので、ちょっとソファーで横になってみようかな、みたいになります。で、そうします。
その行為は、こと「回復」という点では飲酒時代と同じかもしれないのですが、エネルギーがゼロ近くなったから、そのエネルギーを増やすために「ぼーっとする」のだと自分では規定していますし、実感でもあります。
やることすべて「人生好転」につながっていく!
酒飲んでいた時代は、「ぼーっとする」はマイナスを少なくするためだったけれど、今はプラスをアップするためであり、だから同じ「ぼーっとする」でも意味がまったく違うのであります。と、勝手に考えているけれども、それほど間違ってなく、断酒された方ならどなたでも身に覚えがあることと確信しています。
で、冒頭に書いた通り、結局のところ、酒を飲んでないとどんなことでも、それは自分のためになるというふうに規定できるのですよ。いや、これは勝手にそう規定しているのですが。
酒飲まないと膨大な時間が生まれてきます。そこで「ぼーっとする」も含めて何かを行うことは、全部自分のため、自分の将来のためなんだ、何らかの好影響を人生に与えるものだ、と。もちろんそれが、パラレルキャリア形成のための勉強や創作の類だったら、その実効性は限りなく大きくなるでしょう。「ぼーっとする」でさえ好影響(と勝手に思っている)なのに、いわんや他の行為においてをや、というわけです。
とすればこうしたこともまた、「酒やめると人生好転する」のメカニズムの一環であると考える次第でございます。
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