酒やめて、2496日
「神秘的なほどに共通している」属性とは?
自己正当化バイアスという言葉というか実態があります。「俺だけは大丈夫( ー`дー´)キリッ」ってやつですよね。そして当然のように、その弊害もよく指摘されるところです。
弊害は指摘されているけれども、どーも酒飲みというところの者はこれから逃れることができません。これはアル中→断酒大先輩の小田嶋隆さんも指摘しています。(酒飲んでいる人の「俺だけはちゃんと飲める」は)神秘的なほど共通している、と(『上を向いてアルコール』)。まさにその通りであります。
じゃあお前はどうなんだと問われれば、アル中時代の私の場合はもう行き着くところまで行っちゃっていたので、一周回って周囲の酒飲みたちの自己正当化バイアスを助長する存在だったと言えるでしょう( ー`дー´)キリッ
つまり周囲の呑兵衛(のごく一部)に、「俺はあいつ(私のこと)ほどじゃないから大丈夫( ー`дー´)キリッ」「あいつ(私のこと)はアル中だけど俺はそうじゃない( ー`дー´)キリッ」と確信させてしまっていたのです。
でもって私が酒やめてからは、その一部の呑兵衛の主張(?)は、「あいつ」が「昔のあいつ」に代わっただけだったりします。まあそういう思考をすること自体、酒で脳がやられているなによりの証拠だとは思います。余計なお世話ながら。
余計なお世話じゃなくなるのは、この酒にまつわる「俺だけ」が、酒界隈にとどまらず仕事など他の界隈にも進出してきて、「俺スゲー」をアピールしたり、自分の立場でマウントを取ってきたりするようになる点です。いつも書いている、酒による人格の魔改造ってやつですわ。
その自信過剰が人生を詰ませます
さてここで、元妻の話をさせていただきたいのですが、風の噂(娘のご注進)によれば、ちょっと前に無保険の人にクルマをぶつけられたらしいのです。その無保険者は高齢者で、要は「俺だけは大丈夫( ー`дー´)キリッ」だったのですよ。その人が呑兵衛だったかどうかは知らんけど。
それでまあいろいろ大変だったようですが、とりあえずクルマの修理代は自費で払ってもらったと。
このことを加害者から見れば、「俺だけは大丈夫( ー`дー´)キリッ」が招いた多大な出費ということになります。
でもクルマの修理代くらいで済めばいいけど、このように間違った方向の自信過剰は、往々にリスクマネジメントの欠如を招き、人生を悪い方向に導くことは確かです。
つまり、飲酒に関する「俺だけは大丈夫( ー`дー´)キリッ」という思考あるいは指向は人生すべてに及ぶようになり、それはヤバいですよ、ということを私は先ほどから申し上げているのでございます。
これは一昨日書いた「象牙の箸=飲酒」論(?)と同じで、酒から始まる生活の変化、あるいは人格の変化は、酒にまつわる様々なアクシデント以外の部分の「負」を呼び込み、「人生-1.0」(←ジジイがやりがちな「上手いことゆーたった」であってすまぬ)にしてしまうということですね。
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