酒やめて、2448日
「死に方」が重要なのですよ
またぞろ父の介護がらみの話で恐縮ですが、まあしかし介護にまつわる諸々に接していると、ほんとに自分の死に方も考えてしまいますよ。以前も書いていますが、どうやって人生に幕を引くかということですよね(参考「現役続行したい場合はもちろんだけれども、「人生店仕舞い」においても断酒は必要なのかなあ、と」)。
いわゆる「終活」というと、周囲の人への配慮みたいなことが含まれますが、それとはちょっと違っていて、どう自分を納得させて終わらせるか、みたいなことです。
古くは中野好夫先生が『人間の死にかた』という名著を著わし、古今東西の著名人の「死に方」を紹介(?)していますが、一般人にとっても大きなテーマです。今のディストピア化する社会状況にあっては、いくらでも悲惨な「死に方」ができますから、そうならないためにも、です。
そしてこれについては当然、人それぞれいろいろ考えるところもあると思います。
断酒erの場合、というか少なくとも私の場合、非常に単純でありまして、このまま一生酒を飲まなきゃ、そんなに悪くない終わり方もできるし、自分も納得できるんじゃないかという確信があるのですね。根拠はないですけど、確信だけあります(汗)。
一生飲まない……と記しましたが、酒やめたばかりの頃は、1年限定で断酒しようと計画していました。医者もそのように言ってましたし。この辺のいきさつは以前も書いているので繰り返しませんけれども。てか、このブログ繰り返しばかりで申し訳ないです(汗)。
とにかくその当時――6年半ほど前ですが――酒やめないと詰んでしまうという切実な事情もあったし、逆にとりあえず1年くらいやめれば何か見えてくるんじゃないかという期待のようなものもありました。「酒をやめる」というのが、蜘蛛の糸だったわけです。
だから時限だったのです。そしてもちろん断酒した当初は厳しかったけれども、ただその時限の「1年」を迎えた頃には、むろん飲みたいと思うときはあれど、まあそこそこ快適だったので、それからも続いてしまったというのが実際のところです。
一生飲まなければなんとかなるでしょう
で、このまま一生飲まないのかと問われれば――そんなこと誰も訊いてきませんが。ちなみに「お前は一生飲めない。俺はこれから先も楽しく飲める」と言ってくる輩はいます――「飲まなければ、なんとか上手く人生をたためる気はしている」と答えるでしょう。
逆に、もし飲むことがあれば、おそらく以下のような感じの時だと思うんですよね。
*’“・* 。
| `*。
,。∩ * もうどうにでもな~れ
+ (´・ω・`) *。+゚
`*。 ヽ、 つ *゚*
`・+。*・’ ゚⊃ +゚
☆ ∪~ 。*゚
`・+。*・ ゚
ということは論の帰結として(?)、飲まずになんとか上手く人生折りたたむか、「もうどうにでもな~れ」で飲んで、当然のごとくその通りになるかの、単純な二択ってことですよ。
これって渇望していた人生の単純化でもあり、あるいは底付きを体験した断酒er特権なのかなあ、と都合よく考えております。
いや、毎度毎度の断酒erご都合理論かもしれませんが、どっちかやあああ!と規定すると、めちゃラクなのは事実なのであります。
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