山口達也容疑者の一件に見る、「飲酒運転」ではなく「酒飲み」に対する世間の目の厳しさ。

酒やめて、1328日。

批判されているのは山口容疑者だけじゃない!?

元TOKIOの山口達也容疑者が酒飲んでバイクを運転し追突事故を起こしたとして逮捕されたわけですけれども、これについてネットの声をつらつらと見るに、酒というものに対する世間の目は、ここに来てずいぶんと変わってきたなあという感慨を新たにします。

もちろんネットの意見は先鋭化しやすいという特性を持っていて鵜呑みにはできない部分もあるけれども、ただし昨今のおおよその傾向は把握できます。実はこれは酒を飲んでいては、あるいは元アル中としてはなかなかわかりにくいものなのです。一般的視点とはかなり乖離した、酒飲みバイアスがかかってしまいますから(苦笑)。

ともあれ今、世間は飲酒運転に対しては当然にしても、酒飲みあるいは酒全般に対しても、思った以上に厳しい、あるいはますます厳しくなっています。

繰り返しますが、元アル中、現断酒者が思っているよりも、もっと早いスピードで酒という存在は疎まれつつあり、酒飲み文化も衰退しているようです。いや、衰退はしてなくても、それに対する冷ややかな目がより深化しているのは事実であると、今回の一件についてのネットの反応を見ながらあらためて思った次第であります。

酒に厳しい世の中で、それでも酒を飲むのかどうか

さらにわりと目についたのが、日本はあまりにも酒が手に入りやすいことが問題だ、という意見です。このあたりは、本ブログでも度々訴えてきたところです(参考「とにかく日本は酒が安すぎるんだよ、という件」)。

コンビニで24時間、簡単に買えてしまうのはもちろんですが、たとえばストロングゼロなどの意匠は買うのにも抵抗がない……とはよく指摘されますが、もはやストロングゼロのデザインはある種の負のアイコン化しているので、かえって買いにくいかもしれません(笑)。

なんにせよ、そうした酒を取り巻く最新事情を、今回の一件であらためて認識しました。

もう一つ感じたのは、「酒で脳が萎縮する」ももはや常識化しているということです。

で、ここから導き出される結論はですね、酒を飲むということは、それが通常飲酒でも、こうした世の中の厳しい目にさらされるということです。山口容疑者のように事故を起こしたりしなくても、単に飲んでいるだけでも、です。

酒もかつてのタバコのようになりつつある、ということなのかもしれません。

タバコについて言えば、当初は「ヤニカス」的行為、つまり歩きタバコしたり、副流煙をまき散らしている人が世間の非難の対象になっていました。しかし今は、JTいうところのマナーをきっちり守っている喫煙者でも、非難されることはなくても、そして直接口に出して言われることはなくても、自己管理ができないとか、そんなふうに思われるわけじゃないですか。

酒もだんだんそれに近づいているのかなあ、と、思います。「アルカス(もちろん飲酒運転は究極のアルカス行為です)」ではなく「飲酒」が批判対象になる。でもこれは逆に断酒者、断酒継続希望者、あるいは、断酒志願者にとって追い風ではないでしょうか。

いや、「そんなことはない」という意見も当然あるでしょうし、実際のところはわかりません。でもわが軍(?)としては「そうだ」と思い込めばいいわけですからねー。ラクなもんです(笑)。

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