やがて「迎え酒」が人生を覆い始めるのだ、という話。

酒やめて、3106日

酒によるダウン効果とアップ効果は表裏一体!?

よく知られているように、そしてこのブログでも度々言及してきましたが、酒にはダウン効果とアップ効果があります。

「ダウン効果」というのは、酒でテンションを緩める、すなわち「今日もよく働いた酒で疲れを癒そう」ですね。これは長年にわたって人類に支持されてきたメソッド(?)ではありました。

一方、「アップ効果」は「酒でも飲んで気合を入れるか」で、酒にこのテの効果を求め始めるとアル中への特急券を手にしたことになり、ダウン効果を求めるよりも数倍タチが悪いと思われます。この問題についても、本ブログでも度々触れてきました(参考「遠い昔、酒で教壇を去った先生のこと」「あの朝、見かけた「ご同輩」たちは今どうしているのだろう。余計なお世話ながら」)。

さて、ではこの二つが無関係かといえば、そんなことはないところが酒さんの怖さであります。

どういうことかというと、迎え酒ですね。

一日の疲れを癒すために酒を飲み、そして飲み過ぎて翌朝、ああ二日酔いだ、どうもしゃっきりしない、酒でも飲もうかとなるのがいうまでもなく「迎え酒」で、これには一定の効果があると伊丹十三さんも著作『女たちよ!』に書かれています。

つまり、ダウン効果の弊害をリカバリーするためにアップ効果を利用するというものです。

酒の万能感に対する信頼が生まれてしまうと……

確かに昨晩飲み過ぎて二日酔いで使い物にならない、そこでちょっと一杯迎え酒、みたいな行為は、休みの日の朝であれば許容範囲なのかもしれませんし、伊丹さんが『女たちよ!』を書かれた70年代においてはなおさらだったでしょう。ただしこの現象は、単にその場の迎え酒にとどまらず、人生全般にわたって起こると言っていいと思います。

どういうことかというと、疲れを癒すために酒を飲んでいてそれが嵩じると、人生そのものがどんどん「ダウン」していってしまう、つまり気力的に停滞してしまい――何しろ酒さんは人生からエネルギーを徹底的に奪いますので――そこから何とかしようと思って、その手段を酒に求めるというパターンに陥るのですよ。私はまさにこのパターンにはまりまくっておりました(威張ることじゃないが)。

そして、ここまで来てしまうと、人生「詰む」か、断酒というハードランディングをするかどっちかになってしまう。

で、特筆すべき(?)は、酒さんは飲んでいる人間に、そのことを気づかせない点です。

というのは、酒さんは人間の性向を傲慢にするからです。つまり、酒さんは自分をさらに飲ませるために、お前だけは違う、お前だけは特別なんやでーと囁きかけてくる。

そうこうしているうちに、飲む→迎え酒に代表される、酒の万能感に対する信頼が人生を覆ってしまう。とまあ、そうしたことに思いを馳せるのも、断酒を続けるモチベーションになるのではないかと。

原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。

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