m酒やめて、1600日。
「淡々」にして「坦坦」と生きるのが断酒のコツ!?
酒やめて、もう1600日経ってしまったんですねー。感慨深い……て、そんな大げさなものじゃないですけれども、なんというか、きわめて淡々とした思いがしています。
断酒の日々を今から振り返れば、もう辛くて酒飲みてえええ! だった期間は案外短くて、100日くらいだったでしょうか。後は本当に「淡々」と「坦坦」と酒飲まずに生きてきました。もちろんこのブログを書くのも、その「淡々」「坦坦」を維持するための一環です。
そして、そんなふうに「淡々」にして「坦坦」と生きるのが、実は断酒のコツのような気もしています。
このあたりのこともいつも書いていて申し訳ないのですが、酒やめると、おそらく脳の構造も変わるのでしょう、良い意味での「諦観」のようなものが生まれます。酒に執着しないと他のものにもそれほど執着しなくなるからでしょう、たぶん。そして執着しないと人生ラクになるという、まさにお釈迦様の論理がわかってきます。そんないいもんじゃないですけどね。
人間の苦しみというのは、お釈迦様がご指摘なさる通り、執着すなわち諦観の反対のものから起きるものです。そして酒やめてからというもの、ああ今、自分はこれに執着しているなあと思ったところの自分をメタ認知(そんないいもんじゃないけど)できるようになったので、その時点でぱっと諦められる、それが人生ラクにしてくれるという感じでしょうかね。
断酒者は、お釈迦様を超えてる!?
しかしその真実(?)に何千年も前に気がついていたお釈迦様は、やっぱりすごい存在だと思いますよ。そしてその真実を実践している断酒者もすごいと、この際、言ってもいいのかもしれません(そうなのか?)。
神をも畏れぬ……というか、仏様を畏れぬことを言えば、断酒者はお釈迦様に「勝ってる」かもしれないと思ったりもします。というのは、酒飲んでた時代、つまり執着心が強かった時代の大変な人生というものを知っているからです。あの時代の「心持ち」にはもう戻りたくないという思いがヒジョーに強いのです。こればかりは、お釈迦様でもご存じありますまいて。
いや、もちろん今でも、酒飲みたいなと思う時はあります、単純に。でも、酒飲んだことで、あの時代に戻ってしまう、今の「諦観」をベースにした「淡々」にして「坦坦」が壊れてしまうという思いがあり、そこが大きな抑止力になっているようにも思います。
まあとにかく、飲酒時代はぎりぎりで生きていました。いつも書いてますけれども、時間的にも経済的にもエネルギー的にも、です。
小排気量の、ターボも何もないついていないクルマで坂道を上っていたようなものです。しかし今は、人生をこなしていくための排気量(時間×お金×エネルギー)が、飲酒時代に格段に増えていますので、何でもこなせるというかたちですね。大排気量のクルマが、ちょっとした坂道でも「淡々」&「坦坦」と走れるみたいなもんですかねー(笑)。偉そうですみませんが、本当のことだから仕方ないす。