酒やめて、1424日。
あのぐちゃぐちゃな心持ちは、どこへ消えてしまったのか?
酒やめて、あらためて感じるのは、いつも頭の中がスッキリしていて、整然と物事を考えられるということですね。何を当たり前のことを、とアル中経験のない普通の方は思うでしょうけれども、これは一人のアル中→断酒者としての大いなる実感なのであります。
逆に言えば、飲酒時代は常に頭がぐじゃぐじゃだったのですよ。威張ることじゃないですが。
飲酒時代といっても、飲んでいない時間がぐじゃぐじゃでした。そりゃそうですよね、飲んでいる時間は気持ちいいだけですから(苦笑)。
誰しも生きていると、いろんな困難にぶつかったりで、ちゃんと理論立てて考えて(大げさ?)問題解決しなければいけないというケースに度々出くわすわけです。仕事でも私生活でも。
そうしたときに飲酒習慣があると、つまり飲酒脳になっていると、頭の中が、こんがらがってとぐろを巻いているというか、整理がつかないというか、たとえ何か問題に出くわしたとしても、その問題がどういう類のものなのかさえ認識できないのですね。そんな状態では、当然ながら「問題解決」なんぞできようはずもありません。もちろんそれは、考えることを放棄したがっているということでもあり、当然の帰結として、んじゃあとりあえず酒でも飲もうか、になります。
ちょうど子どもの頃、糸や紐の結び目がこんがらがってどうしてもほどけず、どうしようもなくなってハサミで切っちゃおうか、になったことと似ています。ハサミが酒ですね。
酒が逃げ口であり、唯一の採りえるメソッド(?)でした。そして問題に対しては、『風とともに去りぬ』のスカーレット・オハラの有名なセリフ――「明日考えよう」になっていました。明日は明日でまた酒飲むんで思考放棄するんですけどね。
酒やめると、問題解決能力が向上する!?
ただ、酒をやめてからしばらく経つと、頭がまともな状態に戻るのでしょう、人生の諸問題(大げさ)に対して、理路整然と筋道立てて対処できるようになったように思います。そして解決策は必ずあるのだということもわかってきました。
具体例は身バレリスク(?)もあり……というよりも、なんかこっ恥ずかしいので書くことは控えますが、酒飲んでない清明な頭で理路整然と考えた結果、問題が解決できると、それが成功体験となります。
いつも書いていて恐縮ですが、私はその手の成功体験がきわめて少ない人生を送ってきたので、酒やめてそういうことが起きると、自分的にはものすごーく画期的なんですよ。普通の人にとっては当然と言えば当然なのでしょうけれども……。
逆に言えば、酒をやめて今、初めて成功体験のある人生を味わっているという感じです。もちろん「断酒継続」も成功体験の一つです。
ですから、私のように自分の人生には成功体験が少なかったなあと思っている人は、酒やめると今まで失われてきた成功体験が一気に訪れると思いますよ。それは当然のように人生を好転させることにもつながります。