飲酒もいずれストレンジな行為になるのだろうか。いや、なりつつあるよね。という話。

酒やめて、2734日

タバコはすでに「特殊な嗜好」なのでしょう

一昨日に引き続き病院に行ったときの話で恐縮ですが、定期的に通院しているというのに今回新たに問診票を書きました(書かされました)。なんでもそのような方針になったそうです。でもって喫煙の欄には「吸っていない」人でも「歴」を記入する必要があり、そこに20歳から36歳の17年間と記しました。ちなみに飲酒については「飲んでいる」「飲んでいない」の別、そして「飲んでいる」人はその頻度と量を記入するだけで「歴」はなく、これは助かりました。喫煙で「歴」が問題になるのは、タバコは酒以上に「百年殺し」能力があるということなのでしょう。

ともあれ提出したときに看護師さんから、タバコはやめてから一本も吸っていませんかということと、やめた理由と訊かれたので、子どもが生まれたからというのもいいお父さんぶっているようで嫌なので(自意識過剰)、いや、なんか世の中の雰囲気が、というふうに答えておきました。

実際、タバコをやめたときは、もう喫煙でもないよねみたいに世の中なっていて、吸っていると、少なくとも私の周りではなんとなく「変な奴」見られるようになっていました。そのことがタバコをやめる後押しをしてくれたと思います。

それが90年代の半ばだったので、今回の宮田選手の喫煙問題(参考「体操・宮田笙子選手事件に見る、「自由」と「喫煙」「飲酒」のヤバい関係」)に対しては、なんというか非常にストレンジな感じを受けてしまったのですよ。

アスリートがタバコを吸うなんてことが考えられないようになったのは、一般人の間でタバコが「特殊な嗜好」になったのに先行していて、なのでもう三十年以上経っていると思います。

確かに昭和の時代の野球選手などがタバコを吸うのは当たり前だったのかもしれませんし、ジャイアンツの桑田真澄投手がロッカー内禁煙を訴えたことも有名ですが、流れが大きく変わったのはたぶん中田英寿さんの出現でしょう。彼の言動が、タバコを吸うとか吸わないとかそういうことだけじゃなく、アスリートが自分の身体管理を自分の考えでかつ科学的に行うことの象徴だったように、ファンとしては感じました。

それまではサッカー選手も、野球選手と同様、タバコ吸ってるかどうかは別にしても、昭和な体育会のノリの人も多かった。たとえば元日本代表の都並(敏史)選手が何度も怪我をして、都並の怪我さえなければドーハの悲劇はなかったなんてことが言われていましたが、その後、確か自動車雑誌の『ベストカー』だったと思いますが、「焼肉と焼き鳥とラーメンしか食べない」みたいなことを発言し、ネット上で一部話題になったのを覚えております。

自分で考えるということと飲酒はアンビバレントな関係!?

そのようななかに中田英寿という存在が現われて、トレーニングにしても食事にしても徹底的に自己管理していくようになった、と、少なくともファン目線からは見えました。それ以降、アスリートはタバコを吸わないみたいなことはほとんど常識になったような気がします。だからこそ宮田選手がタバコを吸ったということに関して、非常にストレインジだったわけですよ。悪いことをしたかったというあの年代の特有の思いもあったのかもしれませんし、それが厳しい練習でタバコぐらいしかなかったということもあるのかもしれませんし、その辺の事情はよく分かりませんけれどもヒジョーに奇妙な感じがあったのは事実です。

さて、翻って我々一般人ですが、上記のような事情もあり周囲の仕事仲間でタバコを吸っている人間は皆無と言っていいのですが(経済的に吸えないということもある)、ただ同窓会などに行くと、全然別の業界の人間は結構吸っていたりもします(とくに公務員)。

なので、タバコを吸うことがストレンジに感じられる世界とそうでない世界が分化しつつあると思います。

でもって酒なのですが、酒もだんだんそうなりつつあるのかもしれません。「まだ酒(なんか)飲んでいるの?」という「世界」がたぶんできつつある。そしてそれは世代が下がれば広くなっている。おっさんの世界でも、酒飲まないと言うと「イマドキですねー」なんて言われたなんて話も聞くようになりました。

やがて飲酒という行為も、喫煙同様ストレンジになる。たぶんそれって、「コトを成すにあたって自分で考え自分で判断しなければならない」ということが、かつての中田英寿選手のような先進的かつストイックなアスリートだけじゃなく、万人に要求される世の中になっているからなのだと断酒er的には考える次第であります。

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