酒やめて、1230日。
問題解決能力って、よく聞きますよね
これからの若者に求められる資質として「問題解決能力」という言葉をよく聞きます。これまでは、学歴を含め知識や教科学力を頼りに生きていくことができたけれども、今後はこれが必要になるというわけです。要は何かに従属するのではなく、きっちり自分で考えなきゃいけない世の中になるということでしょう。
で、この問題解決能力を発揮するため、つまり問題――それは個人のものでも、あるいはSDGsなどに代表される世界の課題でもいいのですが――を解決するためには、解決しようという意思が必要ですよね。当然ながら。
そして、この意思をスポイルするのが酒ってやつなんですよ。
なぜ酒を飲むと、問題を解決しようとする気がなくなってしまうのか。これはニワトリが先かタマゴが先かの話だと思います。
つまり酒を飲むと、というよりも酒を常飲する習慣があると、問題が立ち塞がった時に逃げる先がを存在しているわけですよ。とりあえず問題は問題として先送りして酒を飲む。それがある意味自分にとっての“問題解決”だったりします(参考「アディクトするものがあると、いつまでたっても自立できないよという当たり前の話」)。
でも当然ながらそれでは問題はリアルに解決しませんのでそのまま横たわり、癌のように自分が知らないところで増殖し、人生を圧迫していきます。そして怖ろしいことに、自分の人生だけでなく他者の人生も侵害したりします(参考「自分という存在と人生を交差させた人々を、不幸にしてしまったのではないかという不安と悔恨があります」)。
大げさかもしれませんが、そういう人が増えれば、それが重なって社会も悪い方に行ってしまうのでしょうね。きっと。
逃げる先がないから、「解決」するしかないのだ!
で、酒をやめると、まず問題に向き合おうとする意思が生まれます。いや、本当に。
なぜか。これもニワトリが先かタマゴが先かなのですが、もう問題から逃げる先がないからです。
今までは問題から背を向けて酒を飲むという人生のオプションがありましたが、それがなくなると、自然問題に向き合い、まあそれを何とか解決するしかなくなってしまうわけですよ。
そうやって、人生の小さな問題でも、とりあえずなんとかします。それは前にも書きましたが、パソコンのメモリ増設でも網戸の張替えでもそんなことでもいいのです(参考「断酒してしみじみ思う。人生で使えるエネルギーの総和は決まっているのだ、と」)。それが小さな自信になります。そうすると次に大きな問題にぶつかったときに、その自信が問題に向き合おうとする原資になってくれるのです。
こんなふうに言うと、いかにも綺麗ごとですけれども、ただ実感でもあります。そしてそれは私にとっては画期的なことであり、意外なことでもありました。俺ってわりとこういうことができるんやな、と。ちゃんと向き合える人間やったんやな、と。それが、さらに大きな自信というかセルフエスティームをかもしてくれます。
酒をやめると人生好転するとよく言いますが、その理由は案外こんなところにあるのではないでしょうか。