酒を飲んで、「俺は社交的な人間だ」と思い込んでいた愚かな俺がいますよ。

酒やめて、1478日。

世のママたちのファミレス長話をどうとらえるか

一昨日、コロナ禍にしてコロナ下においては飲食店での長時間滞在がご法度なので、自然、長尻になりがちな飲酒をする人が少なくなっている、家族外食にではとくに、という話を書かせていただきました。

しかしながら、酒を飲むと長尻になるという点について、果たしてそうなのだろうかという疑問も浮かんだので、このあたりのことを、誰にも頼まれてませんが勝手に深掘りさせていただきたいと思います。

酒を飲むと長尻になる、ということは、飲まないとならない……。でもそうなのか、と自分で書いてて、ふと思ったりしました。なぜならファミレスにいるお母さんたちは、酒も飲まずにドリンクバーだけで延々と話してますから。もちろん男の私とて、そういう時もあります。

で、それは共通の話題があったり気が合うからです。当然ながら。逆に言えば、そういう相手は限られています。

さらにそのまた逆に言えば、あまり気が乗らない相手でも酒さえあれば、長時間コミュニケーションしていられるのですよ。ここが飲酒という行為の本当に不思議なところです。私なんか、立ち飲み屋でたまたま隣にいた初対面の人と2時間くらい話し込んだりしてましたもんね。こんなこと、酒抜きじゃ絶対考えられません。考えようによっては烏滸の沙汰ですよ。

そして私は、そういうことが得意だと思っていました。でも、それはまさに酒がなしていたことなんでしょう。酒によってのみ、社交的になれていたのです。

俺って本当に他者とのコミュニケーションが好きだったんだろうか?

そういうふうに考えを進めていくと、酒が無駄な……というと言い過ぎかもしれませんが、あまり意味のないコミニケーションをつくり出していたとも言えるわけです。

ただ、ネット社会においては、ご存じの通り、コミュニケーションのかたちがかなり変容していて、必ずしも酒が媒介しなくてもいいようになっています。たとえば対面では話せないけれども、ネット上ではそれこそ初対面の人でも気軽に話せるような人も多いでしょう。コミュニケーションを促す媒体としての酒というものが、他のものに取って代わられている部分もあります。コロナによってさらに、そうしたことが明らかになっています。

また個人的には、酒をやめて、本当の自分のことを知ったような気もしています。

というのは、実は私はそんなに人付き合いなんて好きじゃなかった。それがわかったということです。もっと言えば、自分のペースを他人に阻害されたくない、鼻持ちならない人間だったんですよ。心理的ソーシャルディスタンスが必要な人間だった(ジジイ特有の「上手いことゆーたった」表現ですみませんが、そうとしか言いようがない)。酒やめて、そのことがすごくよくわかるようになったのです。それなのに酒を飲んでいたときは、俺って社交的だなんて思い上がっていたのですからお笑い種です。しかも繰り返しますが、無駄な時間と無駄なお金を使って。

もちろん、そうしたことは人それぞれでしょう。ただ、酒をやめると自分の本当の気持ち、自分の本当の姿が見えて、それをベースにして自分の生活をどういうふうに快適にしていくかということを考えられるようになる。これは万人、というか、万断酒者に共通したものなのではないでしょうか。

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