酒やめて、2915日
女性との関係を田中康夫さん的にとらえると……
1個前のエントリで「【フジテレビスポンサー一斉引き上げと西園寺チャンネルプロモーション】僕らは歴史的一大転換点を目撃しているのかもしれない」といったことを書かせていただきました。生成AIを誰でも普通に使いこなすような「未来」そのものの現代において、性上納という昭和的、いや江戸時代的な行為が、ほんとに誰の目にもグロテスクに映ってしまうということですよね。
これで思い出したのが、それこそ昭和の時代、田中康夫さんがディスコ(懐!)で睡眠薬を使ってナンパしたと週刊誌に書きたてられたときのことです。田中さんは「女の子を心身共に育てあげることが我が天命。何故に睡眠薬など必要といたしましょうか」と反論し、これはこれで令和の感覚だと違和感もありますが、そのときはさすがだなあと思った記憶があります。なにしろ「大切なことは全部、田中康夫と村上龍で学んだ」世代ですから(笑)。
そう、睡眠薬などを使って無理くりどうこうするのは犯罪なのは当然としても、なによりも田中さんの美学に合わないということで、まさにスマートじゃないのですね。そしてその「無理くり」には当然のように性上納のようなセッティングも含まれ、現代のような、田中さんのみならずみんなが「スマート」を指向するご時世にあっては、ほんとに悪目立ちしてしまいます。
そして、芸能界やオールドメディアのような、体質的にオールドな組織が行っている行為に、一般人が皮膚感覚で嫌悪感を覚えているのだから、一般人を相手にしているスポンサーも離れるという構造になっているのでしょう。て、こんなことは、私のような者が今さらのように言わなくても、誰もがそれこそ皮膚感覚で感じていることでしょうけど。
「自称適正」が一番スマートじゃない!
私のような者が言いたいのはその先でありまして、むろん、酒さんとのからみについて、です。はからずも今、コマーシャルなどでノンアルコール飲みのことをスマートドリンクキングなどと言っていますが、ノンアルに限らず、スマートに飲める人は確かにいるのです。同窓会はじめ、大勢の人が介する会合に出ると、乾杯の一杯だけ、あるいは二杯程度飲み、後はソフトドリンクに切り替えるという人は男女問わず多いのです(つぶさに観察する私も私だが)。そういう人は、たぶん酒と添い遂げられる人で、酒の持つ社交を促すという機能だけを利用しているとも言えるでしょう。
一方で、そうした会合などにおいて酔ってしまう人間もいて、私ももちろんそのクチだったのですが、それって要は、酒が飲みたいという、いわば動物的な本能のままに飲んでいるわけで、性上納と同じくまったくスマートじゃなく、これも今の時代においては悪目立ちするようになっています。
とまあ、これまた当たり前といえば当たり前のことなのですが、問題(私がイシュー化したのだが)は、ですね、このブログでもいつも紹介(?)している「俺は適正に飲める( -`д-´)キリッ」と言って、それをもってして元アル中の私をはじめ他者を見下そうとする輩です。断言しますが、これが一番スマートじゃない! これに比べれば、会合などで酔って「あーすまんすまん」などと言ってる人間なんぞまだ可愛げがあるというものです。
つまり自称適正飲酒者は、自分の飲みたいという本能を理屈に転換しているわけであり、これはもう決定的にスマートじゃない(二度目)。ハハハ逆に言えば、そういう人間を心の中でスマートじゃねーなーと見下すのも断酒を続けるモチベーションになりますね。
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