酒やめて、1862日。
「家族のため」は失われた価値観!?
一昨日、「人類はいよいよ、社会構造的にも酒と訣別しようとしているのか」という話を書かせていただきました。私にしては大それたテーマを取り上げたので、かなり舌足らずな部分もあり、ですから本日も深堀りというか続きというか、別角度から検証(?)してみたいと思います。
別角度というのは、「労働」ということをキーワードにして、です。
なぜ人は労働するのかというと、食べるため生活するためとされてきたわけですよね。そして人類は、人生の大部分を労働に費やしてきました。でもそれが今の日本では崩れている……というと変ですけれども、そういうことでもなくなっているように見えます。
つまり単身者がミニマムな生活をする、もちろん酒や酒に伴う社交も排除していけば、朝から晩まで週に5日間、しゃかりきに働かなくてもいいようになっています。一昨日も書きましたが、コロナでそれを実感した人も多いのではないでしょうか。私などはフリーランスで若干立場は違いますが、もうそんなに働く必要ないやん、としみじみ思った一人です。
では今、皆さんは何のためにべったり働いているのかといえば、①家族を養うため、②老後を含む将来を考えて、③社会的栄達のため、③自己実現のため、といったところになるのではないかと思います。一つ一つ検証してみましょう(いかにもブログな言い回しw)。
①についてですが、家族や婚姻のかたちに対する考え方がここにきて明らかに変わってきていますよね。社会全体から家族を養うという概念が消えかかっていると言ってもいいかもしれない。それには当然ながら、日本全体が貧乏になっていることがあり、またジェンダー平等といった流れもあるでしょう。
ちなみに私は、あくまでも個人的にですが、男女雇用機会均等法に始まる新卒採用の新展開は改悪だと思ってます。なぜなら、アシスタント的な仕事、もっと言えば職場の華でいいから大企業で正社員として働きたいという大卒文系の女子は山ほどいたはずなのに、その需要に対する供給を喪失させたからです。それに小泉竹中改革が追い打ちをかけたかたちで、新卒女子事務職採用が派遣に取って代わられたわけですよね。罪深いことだと思いますよ。繰り返しますが、すべての女子が、雇均法を推進した先進的な考えの女性の方々と同じく男子に伍してバリバリ働きたいと思っているわけではないですから。
とまあそんなことを断酒ブログで言っても詮ないのですが、ともあれ、今は若い男子でも結婚相手の条件として「奨学金返済抱えてない人」などと言います。女子もそうでしょう。結婚相手として「(女性が男性に対して)家付きカー付きババ抜き」などと言っていた時代からすれば隔世の感があります。結婚するにしても、頼り合うというよりも、互いに自立していることが重視されるわけです。ジェンダー平等とはそういうことでもあるのでしょう。そうした時代にあって、家族のために働くというのは、何か違和感を感じます。
まあ私なども家族のためというか、その延長線上にある世間並みの幸せの同調圧力のために働いていた部分もおおいにありますし、我々の世代の多くはそうではないでしょうか(参考「酒による「ねばならない脳」に同調圧力が加わると、かなり強力な人生破壊兵器になるという件」)。
しかし今の若い人はその手の価値観から解放されていますので、家族のために働くということは、メンタリティとしてやはり受け入れられないと思われます。
組織を介さなくても自己実現できる時代だから!
次に②の、老後を含む将来を考えて、です。確かにこれまでは就職して正社員になることイコールその目的に適うことでしたが、こうした人生設計についてももう終焉を迎えようとしていますよね。正社員になっても定年まで保証されるわけでもないし、副業解禁などもあり、基本的に自分の老後は自分で備えなさいというふうに国も社会も企業も動いています。この流れは止められないでしょう。iDeCoなど税制上非常に優遇される(民間の個人年金に比べれば、ですが)個人積み立て型年金も一般的になっています。
そうしたことも含め、雇用形態はどうであれ、とにかく自分の生活を未来にわたって保障してくれる仕組みをつくることが重要ですよね。ですから、たとえば正社員というだけでブラックな労働を強いられ、そのための時間が取れないとなれば、②の目的にかえって反してしまいます。
③の社会的栄達ですが、要するに出世です。しかしもう出世という概念自体が意味をなさなくなっています。今後、いわゆるライン的な仕事はAIに移行していくでしょうし、それを一部のエリートが管理するというかたちになっていくでしょう。現状にあっても、企業社会の局長部長課長平社員といったようなヒエラルキーはもはや仕事の実態に合ってないことが明らかになりつつあります。
また出世すれば出世するほど大きな仕事ができるというふうなこともよく言われていて、それは一面の真実だったでしょうけれども、その大きな仕事はAIの時代ICTの時代においてはほんとに一部のエリートだけのものになり、一般ワーカーの手に届かないところに行くのではないかと推測します。
ただし、その一方で④自己実現のためということについては、組織に頼らずとももう簡単に自己発信できる世の中になっていますので、ここに自己実現を求めることができます。
と、ざっと見てきましたが、この①から④についての労働の意味が失われているわけですよ。ということは、最初に戻りますが、食べていくためだけならもはやしゃかりきに働く必要がない。しゃかりきに働く必要がないということはストレスもたまらないし、労働でたまったストレスを解消するため酒を飲むことがもうアウトオブデイトというか社会構造に合っていないという結論になります。
しゃかりきに働かずにどうするのかというと、それは自分の未来のために自分で「何か」をするということであり、その意味では、しゃかりきに働くよりも厳しい時代に突入しているのかもしれません(参考「モーレツからビューティフルへ。そして一周回ってまたモーレツの時代になってしまった。酒飲んでいて大丈夫だろうか」)。で、そうした局面で酒を飲めばますます厳しくなるということで、つまり、二重の意味で酒さんは人類に必要ないということになりますよね。
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