格差の世襲(=階級固定化)に果たす酒さんの役割の大きさを考えると、結構、空恐ろしくなるという話。

酒やめて、2256日。

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「住む世界が違う」から「人種が違う」へ!?

もうずいぶん前から「格差」が社会問題化していて、竹中改革による新自由主義がきっかけ……というか定説ですよね。まったくとんでもないことをやってくれたものです。

一方でメディアは、これを飯のタネにしているフシもあり、私のような者のところにも、格差をテーマに(私の専門分野において)何か面白い話ないすかねーみたいな非常に雑な訊き方をしてくる編集者もいたりします。

格差ゆーとりゃ受けると思っとるんやろー、という感じです。

昨今ではもっと深刻で、その格差が固定化し階級階層になりつつある……というかもうなっているのかもしれません。だからこそ上級国民下級国民といった言葉も生まれてくるわけで。

でもって格差と階級の違いは、階級は固定化され世襲されるということです。

イギリスなどは階級社会で有名ですけれども、上流階級中流階級労働者階級で話す言葉が違うのはもちろん、骨格や顔つきなども違っているといいます。「格差」を表わす言葉に「住む世界が違う」というものがありますが、「階級」を表わすのは「人種が違う」です。

「住む世界」の変化は相互的なものですが、「人種」の変化は不可逆的なものです。代を重ねるにつれ、誰の目にもわかるかたちで格差が固定化し階級となるのは非常に恐ろしい話ではありますし、日本もその端緒についているのでしょう。

余談ながらいずれ「ワーキングクラスは俺についてこい!」みたいなJポップならぬJパンクが生まれるのかもしれません。

親の飲酒は子どもから「経験」チャンスを奪う!?

この格差ひいては階級を克服する手段として、これまでは学力あるいは学歴というものがあったのですが、それもまた、ミクロで言えば、東大生の保護者の年収は一千万超えだとか、もっとミクロで見れば、学力検査ではなく推薦選抜や総合選抜などの割合が増え、単純に学力勝負ではなくなっているという事実があります。そしてマクロで見れば、学力や学歴というものと将来の成功がなかなかリンクしにくくなっていることに帰結するのではないかとも思います。

そうした中で唯一、我が子の将来を拓いてくれるであろうものは、いわゆる非認知能力になるのかもしれませんが、それを生むのは「経験」です。

つまり子育てについて、経験ということをにスポットを当てれば、

①上層階級民(あるいはそれを目指す民)=子どもに関心がある。子どもに「経験」させる。

②下層階級民=子どもに関心がない。子どもに「経験」させない。

というふうになっていると思います。

そしてですね、この「経験」チャンスを子どもから奪略するのが、ご存じ、親の飲酒だったりするわけですよ。私がまったくそうでしたし、これは飲んだくれていて一番後悔している部分です。

逆に言えば、酒をやめると、ここでいうところの①になれるわけですよ。少なくとも①を指向することができる。大雑把に言ってしまえば、そういう構造があることは事実でしょう。

私がTwitter上で勝手に断酒仲間認定させていただいている方のツイートを拝見しても、酒やめてお子さんの少年野球の指導をすることができるようになった、みたいなことを書かれてますもんね。うらやましいです。

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