酒やめて、1225日。
もう「声闘」なんて時代遅れもいいとこですよ!
以前、韓国の、日本に仕掛けてくる外交に対する違和感について書かせていただきました(参考「日韓関係報道におけるマスコミの論理矛盾と、酒を介したコミュニケーションの変容」)。
韓国政府や韓国メディアは、日韓間に横たわる様々な問題について、トップ同士が腹を割って話せば良いという主張をしてきます。そして朝日新聞をはじめとした日本のオールドメディアも、これの尻馬に乗って政権批判します。せっかく韓国が話そうと言ってくれているのに安倍ガーというパターンですね。
しかしこれは、日本の政治システムからして無理スジであることは自明ですよね。日本では首相の一存で決められることなどほとんどありません。だからむろん、そうした政治システムに起因する違和感もありますが、それ以上に、そもそも日本に限らず、国際間のそんな大事なことをパーソントゥーパーソンで決めて良いものなんだろうかという現代的な感覚での違和感もあります。
「現代的」と記したのは、第二次世界大戦当時、ルーズベルトはチャーチル(アル中大先輩ですね)の一言によって欧州参戦を決めたと言いますが、その当時はそういうこともありえたのでしょう。でも今は違います。一人の人間のパーソン力が果たす割合は、本当に小さくなっています。
思うに韓国が「腹を割って」と持ちかけてくるのは、韓国にはそういう文化があるのでしょう。「声闘」というものですね。声の大きい方が勝つというわけです。そうした文化があるから直接コミニケーションにこだわるのですよ。直接やりあえばこっちのもんだという思惑が透けて見えます。
日本でもいるじゃないですか。老害とかに。俺が怒鳴り込んで行ったら向こうは黙ってしまった、とか言って得々としてるやつ。
でもそんなのダサイというよりも、もうまったくそういう時代じゃないです。
飲めなくても問題ない時代がやってきた!
ではどういう時代かというと、データとエビデンスと企画とポートフォリオでしょう。「エビデンス」は蓮舫さんの発言のおかげですっかり「エビデンスw」な存在になってしまいましたが、重要であることに変わりはありません。
このようなものは集めたり作成するのに時間がかかりますが、ただそれができれば、人間力を凌駕することができます。ですからよくコミュ力ないから僕は就職が厳しいという人がいますが、大丈夫、時代はあなたたちにいい風が吹いてます。上記のことに圧倒的な作業量(熱量でもありますね)を注ぎ込めば、就職しなくてもやっていけるでしょう。ジジイもかくありたいものだと思います。
そうしたところに持ってきてコロナで、全人類的に直接コミュニケーションの無力さを知ってしまったのではないでしょうか。無力というのは大げさだけれども、「話せばわかる」はもう通用しない、あるいはそのプレゼンスがとても小さくなってるということですね。
ということは当然、直接コミュニケーションに不可欠、というかそれを促していた酒という存在も地位低下します。そのことについては昨日も書かせていただきました(参考「「会うのが、いちばん」の対極にあるものとしての、「酒やめるのが、いちばん」」)。本当にもう飲み会で酒でも飲みながら腹を割って話して物事が決まるなんてことは、ほとんどなくなるのではないでしょうか。コンプライアンス的にも問題ありそうですねしね。
だからといって飲酒行為そのものがなくなるとは思えませんが、少なくとも「営業なんだから酒ぐらい飲めなきゃだめだあ!」はもうすでに消えつつあったところ、コロナによってほぼ完全になくなったと考えて良いでしょう。