もう親世代と同じようには生きられない。酒さんとの付き合いとて、例外ではありません。

酒やめて、2196日。

「いつかはクラウン」が象徴する生活もあったのだ!

昨年末、古いクルマのことを調べていて「いつかはクラウン」という言葉(キャッチコピー)に出くわしました。ある年代以上には説明する必要はないかもしれませんが、若い世代にはなじみがないと思われるのでちょっと説明させていただくと、いつかは(トヨタ)クラウンのオーナーになりましょうよ、それは今かも、という提案です(そのまま)。

まあ、そう言われてもピンとこない人も多いかもしれません。これは、当時80年代くらいまで存在していたクルマヒエラルキーなるものを知らなきゃ理解できないわけで、これだけ価値観が多様化した世の中ではクルマにヒエラルキーもなにもあったもんじゃねーよ、というのが実際でしょうし、当のクラウンとてセダンとしてはオワコンで、クロスオーバーになっています。

でも、ある世代まではこの「いつかはクラウン」は非常に象徴的で、クラウンのある暮らしを夢見てみんな頑張っていたのです。当然、クラウンだけ所有していてもダメでして、そこにはたとえば一軒家だったり、有名私立中学に合格した子どもだったりが付随します。

ちなみに私が通っていた小学校の学区には団地が多く、同級生の転出も多かった。郊外の分譲地に家を建てて出て行くのです。そして招待されたりするわけですよ。そうすると、その聖蹟桜ヶ丘だとか「ヶ丘」系の街にあるピカピカの一軒家のガレージには高級車が収まっているのが定番といえば定番でした。「いつかはクラウン」のクラウンのデビュー(1983年)よりも10年ほど前の話ですが。

「待ってなかった」から飲まないのだ!

で、そのように育った世代としては、いつか自分もそうした暮らしをするんだろうなあというふうに漠然と考えます。自分も大人になったら、そういう暮らしが待っているんだろうな、と。

でも、待っていませんでした(悲)。

いや、我々と同世代には「待っていた」……というより実践してる人もいます。ただ、そうじゃない人も当然ながらいてさまざまであり、やはり親世代とは様相が異なっています。

そして「さまざま」度合いは世代とともにどんどん進行し、今は「『いつかはクラウン』ナニソレタベラレルノ」となるに至ってますよね。価値観の多様化などと綺麗ごとで語られたりしますが、実際のところは「中流の喪失」てやつです。

にもかかわらず、酒を飲むというライフスタイルだけが一貫してみんなに共通してるのも、考えてみれば非常におかしな話です。

確かに親世代は、家を買い子どもを四谷大塚に通わせ「いつかはクラウン」で、そして会社から疲れて帰って晩酌だったのですが、そういう生活、それでも大丈夫な老後が組織や国から保証されていました。

そうした世代の「酒を飲む」と我々世代、あるいはそれ以降世代の「酒を飲む」は、意味が違うと言っていいのではないでしょうか。

酒を飲むことだって「多様化」の一環であり、家を買うとかクルマを買うとか、そのようなことと同じレベルで自問して決めなきゃいけないのに、飲むことだけがなんとなく当たり前のようになっていることに違和感を感じます。うーん、もっと早く「感じます」だったらよかった、なのですが。

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