他人の人生にちょっかい出すほどつまらない人生はない。でもそれ、酒がさせてしまうのかも。

酒やめて、1986日。

nosy

断酒している人にいろいろ言ってくる輩もいるんですよ

知人で断酒をがんばっている人間がいまして、時々再飲酒しまた断酒し、というパターンなのですが、そうしたことに対して、なんというかちょっかいを出してくる輩がいるらしいのですね。つまり、断酒が続いてるのかまた飲んだくれてるんじゃないのかとメールなどで言ってきたりするそうです。

まあしかし、よくもそういうふうに他人のやってることに興味が持てるものだと半ば感心してしまいます。他人の人生にちょっかいを出す人生ほど虚しいものはない。なんて言葉が、昔の作家さんかなにかのものにあったような気もします(今調べてみたけどヒットしない。あるいは思い過ごしかも)。別に私が迷惑被ってるわけじゃないので、どうでもいいんですけどね。

そう。どうでもいいんですよ、他人のことなんて。自分にだけ興味を持てばいいんです。ましてや今、自分軸でものを考えないとサバイバルさえ難しいという時代です。他人に構っている暇なんかないですよ。

でもって私はといえば、もともとあんまり他人様には興味のないタイプの人間でして、それを冷たいだとかなんだとか、飲んでいる時代からも言われてましたけれども、ただ同調圧力には弱かった。世代ということもあるのでしょうけれども(言い訳)。それでいろいろ人生うまくいかなかったりしました(参考「酒による「ねばならない脳」に同調圧力が加わると、かなり強力な人生破壊兵器になるという件」)。

承認要求に他者を利用するなよ

同調圧力はともかく、酒やめてからはますます他人様に興味がなくなり、酒やめているところの自分に興味が向いてきました。というと、馬鹿っぽいですしその通りなのですが、要は他人に期待しなくなり自分に期待するところが大きくなった……と言えば、なんとなく格好がつくような。そしてこれが、自己肯定感、セルフエスティームってやつかもしれません。

とまあ、セルフエスティームだとかおおげさに考えなくても、酒やめると諦観が生まれ、自分がやれる範囲でやればいいそれ以外はよかろうもんになってきます。

というわけで、そのような自分のことと考え合わせると、以下、いささか強引な三段論法になるかもしれませんが、酒を飲むから他人の人生にちょっかい出したくなるということになったりしますよね。強引な理屈かもしれませんが(汗)。

ただ、他人との比較においてでしか自分のアイデンティティを確立できないのは悲しい話であり、それに酒がからんでくるのかも、と思いますよ。なぜなら、飲酒習慣があると脳が考えることを否定するようになり(私がまったくそうでした)、他人に軸を求めるのが一番安直だからです。

そして、これは絶滅危惧種なのかもしれませんが、「俺の酒は飲めないのか」と言ってくるような輩も、酒を通じた(←ここ重要)その行為によってでしか、承認要求を満たせないんだと思いますねー。

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