山口達也さんの「一生酒飲まない」を意志薄弱な断酒erなりに分析(?)してみると。

酒やめて、2464日

小田嶋大先輩のライバル(?)キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

酒で問題を起こした元TOKIOの山口達也さんが「一生酒を飲まない」と誓っていて、このこと自体は断酒業界では有名なのですが、それに対してネットニュース編集者の中川淳一郎さんがもの申しています。「“一生一口も飲まない”元TOKIO・山口達也氏の「断酒の誓い」を、“大酒飲み”ネットニュース編集者が心配する理由」という「デイリー新潮」の記事ですね。

中川淳一郎さんといえば、才人なのに、というか才人だからこそ、アル中→断酒大先輩の小田嶋隆さんからいじり倒されていました。小田嶋さんの中川さん批判(というか悪口)は、めちゃおもしろかったです。論客同士、ある意味良きライバルだったのでしょうか。

さて、その中川さんの記事では山口さんに対して「無理をなさらないで」と言っていますが、山口さんは別に無理してないと思うのですね。

「一生酒を飲まない」がアルコール依存症の唯一の治療法だという医師の助言があったとはいえ、山口さん自身もそうできると確信していると私は思っています。

このことについて、私のようなものがあれこれ言うのもナンですが、ただ「意志薄弱」つまり「一生飲まない」という決意とは縁遠いところにいる断酒者として思うところがあるので、誰にもたのまれちゃいませんが、以下書かせていただきます。

山口さんがある種確信を持って「一生飲まない」としているのは、芸能人として一流になったという大きな成功体験をすでに持っている(なにしろ、TOKIOの楽曲は東海道新幹線の車内チャイムになっていたくらいですからねー)からだと、私は勝手に推測しています。なので「一生飲まない」を成し遂げる自分に対する信頼がある。

一般人が「一生飲まない」に近づくプロセス

ひるがえって我々一般人はと考えると、成功体験がある人ない人いろいろでしょうが、成功体験がほぼない(悲)私に言わせれば、断酒に際して「一生飲まない」と決意するのはかなりハードルが高いですし、中川論陣の違和感の根拠もそこにあると思います。私も断酒に際して「一生飲まない」とは考えませんでしたし、最初は時限でした。

ただし、これはいつも書いていて恐縮ですが、断酒そのものが成功体験になりますので、「一生飲まない」という悲壮な決意ではなく、「一生飲まない」行けるかも―、とは思えるようになります。

このあたり、ある意味プルトニウム原発と同じ原理です。つまり断酒していることが成功体験をつくり、その成功体験が断酒継続の新たなエネルギーやモチベーションになる、と。

なのでこの記事も、最初は「断酒はプルトニウム原発と同じ原理だという珍説」てなタイトルにしようかなと思ったのですが、「断酒」「プルトニウム原発」で検索する人は皆無でしょうから、検索に有利かも〜というあざとい思いから「山口達也」さんの名前をタイトルに入れさせていただきました(汗)。

さてさて、断酒していることそのものが成功体験になるわけですから、「一生飲まない」という決意にだんだん近づいていく、だんだんその確信が大きくなっていくというのが、私のような意志薄弱なことでは人後に落ちない者も含んだ一般断酒erの「一生飲まない」に対するアプローチではないかと考える次第でございます。

もちろん再飲酒してしまうこともあるかもしれないけど、そのときはまた断酒を始めればいいと思います。一定期間断酒したという成功体験を持っているという「プルトニウム原発理論」で。

ちなみに、ですね、冒頭に挙げた記事なんですが、もうなんというか確信犯的にも見えるんですよね。そもそも若者が酒飲まなくなっている(参考「Z世代が酒飲まないのは親世代の影響もあるかもね、という話」)→世の中で酒が迫害されつつあるのではないか→昭和なおっさん世代はそれに対してちょっとした違和感を持っているだろう→よーし、『週刊新潮』に連載持ってる中川淳一郎に何か言わせてみよう(ちなみに中川さんの連載「この連載はミステリーです」の挿絵は断酒大先輩のまんきつさんです)→山口達也氏のことを取り上げれば話題にもなるし。みたいなあざという論法で出てきたんじゃないかなあ、と。

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