ストロングゼロが亡国の飲み物であるというこれだけの理由。

酒やめて、1089日。

お馴染みストロングゼロですが「肉! 現金! 当たる!!」キャンペーンが生々しすぐる……。

昨日、怖い絵として「ジン横丁」を紹介しました(参考「「ジン横丁」に描かれた18世紀のイギリスに、今の日本があまりにも似てきていてヤバいんじゃないかという件」)。この絵で語られたのは、要はジンは貧者の飲み物であるということです。「ジン横丁」は、ウィリアム・ホガースという風刺画家が描いたものですが、「ビール街」という絵と対になっています(下参照)。そして「ビール通り」には、ビールを楽しむ富裕層が描かれています。

左が「ビール街」で右が「ジン横丁」。

これらを『怖い絵』という著作で紹介した中野京子さんは以下のように述べています。

とりわけ富裕層の多くは、これを単純な善悪対比図と見なした。ビールを飲めば神に祝福され、ジンを飲めば地獄行き、というわけで(以下略)

人生を楽しむための酒と人生から逃げるための酒

しかし同じ酒なのに、どうしてかたや「ビール街」で、かたや「ジン横丁」なのでしょうか。

この二つの酒には、製法でいえば醸造酒と蒸留酒という違いがあります。醸造酒は、要は穀物や果実を絞ってつくったものですね。ビールもそうですしワインもそうです。蒸留酒は、原料をぐつぐつ煮立ててその水滴を集めてつくったものです。焼酎やブランデーがそうです。

醸造酒と蒸留酒の違いをその「機能」から言えば、やはりダウン系、アップ系になるのではないでしょうか。醸造酒がダウン系、蒸留酒がアップ系です。

つまり醸造酒はリラックスを促し、蒸留酒は気付けの役割を果たす。そう考えるとこの「ビール街」「ジン横丁」もわかります。ビールはリラックスするために飲むお酒、そしてジンは、とにかく生きていく気力をもらうため、あるいは戦後のヒロポンなどと同じく過酷に働くために飲むお酒です。人生を楽しむために飲む酒と人生から逃れるために飲む酒と言っていいかもしれません。

もちろん今は状況が変わってきていて、蒸留酒でも、たとえば乙類焼酎やブランデー、ウイスキーなど、当然ながら楽しむためのお酒もありますけれども。

「逃げるための酒」の最終進化形、それがストロングゼロ!?

しかし、この当時のジンはそういったものではなかった。そしてこの当時のジンと、今、人生から逃れるための酒とされるストロングゼロに共通しているのは、蒸留酒のなかでもスピリッツと呼ばれる、より純度の高いアルコールだということです。ストロングゼロはウオトカを原料としていますが、ウオトカはほとんどが水とエタノールで、スピリット性の非常に高い、ぶっちゃけていえば工業用アルコールに近いものです。

そもそも酒は水の代わりであり、イエス様の血であるくらい崇高なものでした。ところが「ジン横丁」でのジンも、現代のストロングゼロも、そういう文化的意味合いはありません。だって単なるアルコールですから。単に酔うためだけのものです。

なんと80円台のストロング系缶チューハイも! 大丈夫か?

で、単なるアルコールはそのままではとても飲めたものではないので、ストゼロは強烈な甘味料と強烈な炭酸で厚化粧しているのです。悪魔の発明ですが、日本の酒税法の矛盾がこの飲み物を生んだとも言えるでしょう。つまりお上が、人々を「ビール街」から「ジン横丁」に追いやっているわけです。このあたりの社会構造的なこともからんでくるので、ストゼロのヤバさは根深いものがあります。

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