酒やめて、1121日。
私に仕事を委託してくれている会社の社長が同年代で、ともに子育て卒業世代です。そしてよく二人で、半ばため息混じりに呟きあうことがあります。
子育てとは諦めることと見つけたり。
まあ要するに二人とも、思うようにはいかなかったということですね。
酒が「こうでなくてはならない脳」にしていた!?
そしてそんな話を若いスタッフの前でしていると、もうそんなこと言わないでくださいよこっちはこれからなのに、と怒られたりもします(笑)。
ただし今となっては、私のなかでは「諦め=善」です。それを酒をやめて知ったというのが今回の趣旨(?)です。
私も自分の子どもに対してはやはり期待するところがありました。ですから小学校低学年から進学塾に行かせたし、中学受験もさせたし、そして私立の中高一貫校にも入学させました。自分が中学受験を失敗していたので、正直、それを取り戻してほしいという思いもありました。親の夢を子に託し、てやつですね。星一徹パターンです(参考「酒は、クズ親のアイコンか?」)。もちろん大学もそうです。行ってほしい大学もあれば学部もありました。
でも冒頭に記した通り、結果的にはまったくそういうふうにはなりませんでしたねー。大学も推薦で行けばいいのに、本人はそれを蹴って推薦で行ける大学よりランクの下がる大学を、行きたい学科があるという理由で受験したりもしました。
そうした子どもへの期待は、期待というと聞こえはいいのですが「執着」になってたような気がします。それが酒起因のものなのかどうなのかはわかりませんが、「こうでなくてはならない脳」でした。
そして「こうでなくてはならない」は、たとえば習い事や歯の矯正、あるいは「ペットと一緒に育つわが子」みたいなことにまでおよんでいました。
スーパー自主性を発揮してくれて結果オーライ!?
なぜそういうふうになったかといえば、たとえば進路に関しては、やっぱり親の言う通りにしたほうが人生上手くいく、みたいな抜きがたい思いがあったからです。同級生なんか見ると、医者や教員の子で親の言う通りに医師や教師になったやつは、まあ上手くいってるというか少なくとも安定はしている。一方、医者の子でも妙に意識高くて他の道を選んだやつは、あまり上手くいってなかったりもします。私にしたところで、親はメディア勤務でなんとか電通に押し込んでくれようとはしたのですが、本人があまりにも馬鹿すぎて箸にも棒にもかからなかったという過去があります。そうした経緯があると、自分の子の進路に関与したくなるのです。
しかし今思えば、そういう期待は結局のところ親の自己満足なんですね。自分の人生の悔恨を子どもを使って取り戻そうとして、それをお前のためだ、というある種のすり替えをするのは、よくいう親のエゴを超えて「ズル」です。さらにその「ズル」を「正義」と自分で思い込んで恬として疑わないのですからタチが悪いです。
そうした心理状態が酒起因かどうかはわかりませんが、ただ、これまでこのブログでも検証してきた通り(?)酒起因で執着心が強くなることは事実であり、このようなこともその一局面かもしれません。
しかし、ですね、酒をやめてから、その執着心というものがなくなりました。少なくともとても薄くなった。遅まきながら、諦めるということを知ったのです。そして実は、この諦めることは決して悪いことではない、と。それが人生をラクにします。
ですから今、酒飲まないでそういう気持ちで子どもに接していればよかったなあ、とは思います。まあしかし、うちの子の場合、スーパー自主性を発揮し私の言うことなど馬耳東風に育ってしまったのでよかったとも(笑)。それも親のプレゼンスのなさゆえ、だと思うとトホホなんですがね。親のプレゼンスが大きくて、かつ親が「こうでなくてはならない脳」だと、星飛雄馬のような悲劇(魔球の投げすぎで野球のできない身体になり三年で現役引退)になってしまいますからね。