親の過飲酒は、子どもの経験チャンスを奪う。

酒やめて、1010日。

子どもの経験

Pexels / Pixabay

酒を飲むことによって失われる経験は、自分のものだけではありません。むしろ子供の経験を奪ってしまうことが一番怖いと、私は今、考えています。

親の飲んだくれは、「体験格差」のトリガーに

一昨年でしたか、「体験格差」ということがプチ話題となりました。親の所得によって子どもの経験の質や量が異なってしまい、それが将来に大きな影響を及ぼすとのことです。

今後、大学入試でも、ペーパーテストではなく論文や面接などが重視されるようになると、そこでは幼少期~思春期の経験が重要になってくるでしょう。自分の考え方をかたちづくるのは経験だからです。

子どもの経験値が親の所得で決まると書きましたが、親が酒飲んでる、大酒くらっているということも大きく影響してくると思います。土日にお父さんが一日中酒を飲んでいたら、子どもに経験をもたらすことなんてできませんもんね。もちろん過度な飲酒は、子どもに経験をもたらすための可処分所得を減らしてしまうという側面もあるでしょう。

たとえば今日の祝賀パレードにしても、お父さんやお母さんが子どもに貴重な体験をもたらしたいと考えてわざわざ連れ出すような家庭と、お父さんが朝から飲んだくれていて「テレビで見ればいい」という家庭では、先々かなり違ってくるでしょう。かくいう私も、そこのところは子育てにおいて非常に後悔しています。

一流といわれる中高一貫校のなかでも、論文などに優れた才能を発揮する子は、やはり親にJAXAに連れて行ってもらった経験があったり、スーパーカミオカンデ見学を経験している人だったりします。

うちの子の友人でも、今海外で学んだり活躍しているような子たちは、親が、ある程度意識してそうした経験をもたらし、それが礎になっていると感じます。

「不二家でパフェ」も貴重な「経験」だ!

自分のことを考えてみても、上記に比べるときわめてささやかではありますが、たとえば銀座の中華第一楼で食事をし、その後、不二家でパフェを食べさせてもらったこともあります。こういうのってめちゃ記憶に残るんですよ。そうしたところに恒常的に行ける家庭ではないことは子ども心ながらにもわかっていますから、余計だったりします。そして、そうしたところに行くのが当たり前だった、たとえば「小学校から名門私立」みたいな人間と付き合いができたときに、案外、役立ったりもします。

こういう細かなことってわりに大切だったりするんですね。

世の中の、いわゆるエエトコの子同士が「福音館の絵本」だとか「ブルグミューラーで挫折した」とか「オペレッタでは東方三賢者の一人の役をやった」とか「お爺様のお誕生日会は東京會舘で」みたいな話をしているのって、ね、むかつくうらやましいでしょ。で、できれば、わが子にもそうした経験を与えたいものです。ミーハーかもしれませんが。そしてその局面において、親の過飲酒習慣は邪魔になるんですよ。

ましてや今後は、すべての人間がメディアを有し、そのメディア発信力が価値を持つ時代ですから、「経験」の持つ意味は、若い人ほど大きいと言えます。

今、秀逸なエッセイを書く人、江國香織さんにしても松本葉さんにしても酒井順子さんにしても、それこそ阿川佐和子さんにしても、やはりエエトコの子で、親の意識も高く、十分な経験を与えてもらって育ったからでしょう。

そしてそうしたことが、繰り返しますが、親が飲んだくれているとできにくくなる。

子どもの「経験」のために断酒する、そういう選択もあるのではないかと思っております。

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