快楽ではなく快適を追求すれば、人生上手くいくんじゃないかという仮説。

酒やめて、1596日。

典型的な快楽追求行為の行きつくところは……

ここのところ、人類分化説(?)を唱えさせていただいています(参考「フランス人がワイン離れだとか。人類はいよいよ酒と訣別するのか(期待)」とか参考「やっぱり人類は分化している。「精神的若づくり」の必要性をひしひしと感じますよ。もちろん酒飲まずに」とか)。しつこいようですが今日もそのことについて語らせていただきます。誰にも頼まれていませんけれども。

結局、今、人類が分化していっているのではないか、若者の酒離れなどはその一局面であるのではないか、ということを提議しているのであります(大げさ)。そして以前も書きましたが、宇宙人から見れば、「今の人類を宇宙人の視点で見てみると、いろいろ言い得ておもしろいという話」ということになるんじゃないすかねーみたいな希望的な観測もあります。

この「分化」を、快楽を追求する人間と快適を追求する人間に分かれている、としてもいいかと思います。

飲酒習慣は典型的な快楽追求行為ですよね。

私も飲酒時代はもうほんとに快楽至上主義者でした。そして人生にイベントを求めないと気がすまないといった感じでしたね。精神的パリピだったのです。もっとも実際はといえば、負の意味での「イベント」ばかりでしたが(苦笑)。そしてアル中が進行すると、パリピとは対極に、人生がどんどん地味に、あるいは惨めと言ってもいいのですが、そのようになっていきます。ただ、そうではあるけれども、少なくとも快楽を追求したいというポリシー(?)は持ち続けます。威張ることじゃありませんが。

「快適な人生」は断酒という大前提があってこそ……かも?

で、酒やめるとこれが一転、快楽ではなく快適至上主義になります。多くの方がそのようですね。人生、別に華やかなイベントなんかなくてもいい、ただ気持ちよく心穏やかに過ごせばそれでいい。これが快適至上主義です。

すると、ですね、私はフリーランスなのでその観点からしか言えませんが、あまり気が進まなかったり納期が厳しい仕事をするといろんな軋轢が生じがちで快適を損なってしまうリスクがある、だからそういう仕事はしない、というふうになります。そのような仕事ぶりだと、当然ながらそれほど稼げるわけではないので生活をミニマムにせざるをえない。断酒していることが必須条件になるのですね。

快適を追求すると、生活経済的にも断酒せざるをえない。「快適」を至上のものに感じ、それは経済的側面において断酒が必須だからこそ、断酒モチベーションになるという構造が生まれます。少なくとも私の場合そうですね。

今、ニュースなどを見ると、「70代(アルバイト)」みたいな人が出てきますけれども、もちろん職種にもよりますが、職場の人間関係も含めてあまり快適じゃない感じもします。

ですからなるべくそういうふうにはならないように、と考えると、やっぱり貯金もしなきゃいけないし、なによりも(低)年金だけで生きていけるよう、生活をミニマムにすることが大事になってくるなあ、と。そして繰り返しますが、快適に一生を生きていくことを至上課題にすると、断酒が大前提になっていることに思いいたり、驚いたりもするのです。

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