酒を飲み続けていると、「自由」がどんどん失われてしまうよという話。

酒やめて、1574日。

酒飲んでると、「酒飲む」しかなくなるという現実!

先日、Twitter上で私が勝手に断酒仲間認定している廃人@修行中さんが、以下のようにつぶやいていました。

いやあーこれ、わかるんですよ。飲酒時代の酒代だけで、今やすべての生活が賄えるぐらい、という感覚。どれだけ金を無駄にしとったんか! ってことですよね。

いくら今、酒が安いからといって、そして外でも安く飲めるからといって、毎日飲む習慣があるとやっぱりそれなりにお金はかかります。それこそ晩ご飯のときにビール1本だけみたいな人だって、月に5000円くらいかかってしまうのですからねー。いわんや私のような者においておや、ですよ。飲酒時代はほんとに生活費の大半を酒に注ぎ込んでいたという感じでした(参考「いくら安く飲めるからといって酒は「固定費」になってしまうから怖いのだ」)。

で、これもいつも書いてますけれども、飲酒習慣があるということは、単純に酒代そのものがかさむということでもないし、外で飲むからお金がかかるという問題だけでもないんですよ。この辺は説明しにくいのですが、なんというか生き方がパリピー指向になるのです。そのパリピーな生き方自体が浪費を生んでしまう……といった感じでしょうか。

逆にいうと、これもいつも書いていて恐縮ですが、酒やめると淡々&坦坦と暮らせるので、自然、精神的にも地味い~になります。それがミニマム&ミニマルライフを可能にするといった感じでしょうか。

そんなふうに暮らしがミニマムになると、自由に使えるお金も湧いてきます。そして当然のように酒やめると時間がわさわさ湧いてくるし、エネルギーももりもり湧いてくる……とまでは私に場合加齢もあっていかないけれども、少なくとも酒によってスポイルはされていません。このお金×時間×エネルギーで何でもできるということを実感するのですよ。

酒に人生のリソースすべてを捧げる馬鹿馬鹿しさ!

飲んでいた時代は、俺は自由だ酒飲む自由があるうううう!と思い込んでいました。でも今考えると、酒飲む自由以外のすべての自由が奪われていたのですね。だって酒飲むことに、お金×時間×エネルギーという人生のすべてのリソースを割いてしまってましたから。

ところが今や、酒を飲まないので、酒を飲む自由以外のすべての自由があります。何でもやろうと思えばできます。コロナでできないことも多いけれども、とにかく可能性はあります。それが大きいのだと思うのですよ。

酒を飲む自由を謳歌するか、酒飲む自由以外のすべての自由を享受するか。断酒というものには、そういう側面があるのではないかと勝手に考えさせていただいております。

そしてついでながら本当に怖いのは、飲み続けていると、そのたったひとつの自由である酒を飲む自由でさえやがて失われてしまい、人生からすべての自由がなくなってしまうということです。そこまで行ってしまうということですねよね。そうなったらもう後戻りができない。後戻りできるところで引き返せてよかったとしみじみする断酒者なのでありますよ。

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