酒やめて、1876日。
小田嶋隆さんは「特別」だった!?
このブログでも何度か引用させていただいている、断酒大先輩の小田嶋隆さんの著作『上を向いてアルコール』にこんな一節が出てきます。
先生が言うには、アルコールをやめるということは、単に我慢し続けるとか、忍耐を一生続けるとかいう話ではない。酒をやめるためには、酒に関わっていた生活を意識的に組み替えること。それは決意とか忍耐の問題ではなくて、生活のプランニングを一からすべて組み替えるということで、それは知性のない人間にはできない、と。
(引用前掲書)
ここでいうところの「先生」は小田嶋さんの主治医の田中孝雄先生(『飲酒症――「アルコール中毒」の本態』という著作がある)であり、あの久里浜医療センターに勤務していたのですが、アル中は診なくなったそうなのです。なぜなら何度診ても必ず飲んじゃうからです。でも小田嶋さんはインテリなので、もしかしたら治る見込みがあるかもしれないと言ってくれたというのですね。ま、小田嶋さんに言わせれば「見事な患者コントロール術」だそうですけど。
なるほど~、と思いますね。
このブログでは、俺、酒飲まんもんねーという屈折した優越感が断酒モチベーションになる、あるいはそういうことにしてしまいましょうぜということをときおり訴えていて、むろん私自身がそうなのです。ですからまあ、性格悪い人向けのメソッドですね(汗)。
そうしたところに持ってきて、「断酒ができる=インテリである」という田中先生の持論は非常に都合がいいわけですよ。
断酒している限り「インテリ」なのですよ
そして、このことにはもう一つ重要な真実が含まれていると思います。
それは、先の引用にある「生活を組み替えることができる」という点です。『上を向いてアルコール』においては、それはインテリ特権のようになっていますが、ただ、インテリだろうがそうでなかろうが、とにかく組み替えなければならないことは、すべての人に突き付けられている事実ではないでしょうか。今や。
というのは、雇用されていることにディベンドして一生を組み立てることがもうできなくなっている。そうした中で、自分で考え自分で行動し自分で将来に備えなければいけない。国も、もう「そうせ〜い」と言っていますしね。
そうしたときに、とりあえず「今日もよく働いた酒でも飲もう」はアウトオブデイトなわけです。繰り返しますが、今までだったらそれでも雇用されている限り、将来のことは会社や国がやってくれていたけれども、もうそうじゃなくなっている。だから「生活を組み替えることができる」は、アル中アル中じゃない、インテリインテリじゃないに関わらず、になると思います。
ともあれ、田中先生理論の裏を返せば、今、断酒をしている、あるいはこれから断酒を始める人は必然的にインテリということになります。そこに優越感を感じればいい。何度もすみませんが、このブログでいうところの「屈折した優越感を断酒モチベーション」にとって、小田嶋主治医の「インテリだからできる」は、非常に都合がいいわけで。
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