酒やめて、1946日。
「みんな飲んでる」は酒飲む理由にならない!?
私よりちょっと上の世代までは、終身雇用が保障されていたし退職と同時に十分な年金も支給され、それまでに持ち家のローンも払い終わっているのが普通だったので、それ以降、飲んだくれててもなんの問題ありませんでした。その時点まで、つまり60歳定年になるまで頭の性能が保てばいいわけですから。それから後の人生は、文字通りの楽隠居です。うらやましいです。と、ここまではいつも書いている通りで、またかと思われる方もいるかもしれませんが、言いたいのはその先であります。
そのような、ほぼ全員楽隠居世代とは異なり、我々世代においては、楽隠居できる人とできない人――つまり国の施策通り「死ぬまで働け~」な人がいるわけです。私も低年金なので後者です(悲)。
そして、今の若い人たちにも、後者層がどんどん増えてくるでしょう。
それが何を意味するかというと、飲んでいても大丈夫な人と、飲んでいるとやばい、飲んでいる場合じゃない人がいるわけで、みんな飲んでるやん、俺も飲むという理屈がまるで通用しないということです。
自分にとって本当に酒は必要か
今の若い人たちが酒をあまり飲まないのも、もちろんコスパが悪いとか、純粋に経済的に飲めないとか、昭和な酒飲みをたくさん見てて酒ダサいと認定しているとか、いろんな理由があると思いますが、やっぱり自分にとって酒ってほんとに必要なのだろうか、ということを問いかける習慣が身に付いているからなのかなあ、と思います。
いや、これは酒に限らず、すべてにおいて、です。本当に自分というところの者の価値観を大切にしていて、同調圧力に流されない、あるいは圧しつぶされないよなあ、と感心してしまいますよ。マジ、リスペクトです。同調圧力世代としては。
今の教育学校現場はかなり熱心に自分軸の大切さを説いていますので、自然とそういう考え方になるのかもしれません。
逆に言えば、もうそうしないと生きていけないわけです。ですから、「飲む人」「飲もうと思わない人」に分化していっているのでしょう。
むろんこれは全世代に適用されることであり、なんとなく飲んでいるというのは、非常に不合理な行為になります。まあもちろん、それも酒さんの罠なのでしょうけれども。
私なども、断酒が続けられるのは、みんな飲んでるやん、ではなく、やっぱり自分にとってというどうなの? というふうに問いかける癖がついたのも大きいと思います。
でもって、俺はお前と違ってまだ飲めるとマウント取ってくる人もいますけれども、その人が社会的に飲めるということであればいいんじゃないですか~(冷笑)、という感じです。
とまあ、今度同窓会があるので、飲まない理由を訊かれたらそんなふうなことを言ってみようと思っておりますが、しらけるだろうなあ(苦笑)。
カテゴリ別インデックスページはこちらです。