酒やめて、2716日
「自由」の絶対条件として「飲まない」があるのだった
4月から関わっていた、私にしてはですが、比較的大きなプロジェクトが二つ終わって、完全に暇になってしまいました。なので海へ行ったりだとか、気ままに過ごしております。季節は梅雨とはいえ夏に向っており、まあこの開放感たるやちょっと半端じゃないです。
そこへ持ってきて先日、青春18きっぷが発売され、購入する予定ではいますが、このアイテムは手に入れただけで自由を一つもたらしてくれるような気がするから不思議です(参考「青春18きっぷ廃止の噂が示唆する社会構造の変化。ますます飲んでいる場合じゃありません。こじつけじゃないよ」)。
で、そのような自由があるということは、基本的にはあまり働かないということになります。そして日本の場合、そうすると必然的に低収入になります。むろん理想を言えば、働かなくても定収入が入ってくる、通称・ちゃりんちゃりんシステムを構築したいものですし、断酒はその第一歩的な側面もあるのですが、それを言い出すと話が大きくなりすぎるので、とりあえずそこのところは今回は措いておきます。とりあえず、「暇がある≒自由だ」と「収入がある」はトレードオフの関係にあると一般的には言えるでしょう。
で、どちらを優先するかですが、私の場合、自由を優先したい。なぜなら、もう人生、先が見えているし、好きなことをできる時もそう長くないと思われるからです。「働いている場合じゃない!」 ですね。
そしてそのように「自由」に過ごすためには、私の場合、低収入対応型ライフハックが身に付いていることが絶対条件で、それは酒を飲まないことが大前提になります。つまり「自由」と「飲む」もまたトレードオフの関係にあります。私の場合、と記しましたけれども、多くの人に当てはまる「真実」であると考えます。
矛盾した行為をし続けてきた人生やった(泣)
思えば酒飲んでいた時代は、酒を飲むことが自由の象徴だと考えていました。愚かにも。しかしここまで書き連ねてきたように、それはまったく矛盾しているという「真実」に、ようやくたどり着いたのですよ。
「自由」とは、論理的に考えれば、時間に担保されるものであり、収入に担保されるものであり、そしてエネルギーに担保されるものです。
先に記したように、時間と収入の関係はトレードオフになので、上手く塩梅する必要があるでしょうが、ともあれ、この三つを徹底的に奪うのが酒であることはいつも主張させていただいておりますし、それはいくら強調してもしすぎることはないと思います。
すなわち自由だあああ、と叫びつつ酒を飲んでいることは、まったくもって矛盾した行為なのですね。にもかかわらず、飲酒行為が自由の象徴のように感じて飲み続けていたのだから愚かとしか言いようがありません(二度目)。
「自由」と「飲酒」は両立しない。そこに、今さらのように気づいた断酒erがいますよというお話でした。ホントにねー、もっと早く気づけばよかったんですが。
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