酒やめて、2634日
やむにやまれぬ事情は「依存症」だった!?
ちょっと前に大谷翔平選手の通訳である水原一平氏賭博疑惑について書かせていただいたのですが(参考「依存から脱すると、重い荷物を下ろした気分になるという話」)、その数日後に急転直下、真相が明らかになりました。いやしかし、まさかと言えばまさかの展開です。
一番身近で一番信頼している人が重大な犯罪に手を染めていたとは、ミステリ小説などではよくあるパターンで、やむにやまれぬ動機があったとされるのが王道ドラマツルギー(?)です。そして今回の現実の事件の場合、「やむにやまれぬ」が依存症というわけだったのですね。
また今回の一件で、依存症というものの恐ろしさもまた明らかになりました。依存症は人間にあそこまでとんでもないことをやらせてしまう、と。
さて、私のアル中時代に、今回の水原容疑者事件のようなことがあり、「依存症は怖いよ」というふうに誰かから指摘されたとしたら、おそらくタイトルのように答えていたでしょう。
あそこまで馬鹿じゃないよ。
そして、そのようなやりとりは今回、日本中で行われたのではないでしょうかと勝手に推測しております。
「下」を見て飲むのはヤバいです
「あそこまで馬鹿じゃないよ」のベースには、当然ながら俺はギャンブルや酒と上手く付き合っているという自信や、さらには驕りがあります。
ただ私の場合、自分ではそのように言っていましたが、周囲からは水原氏に対してと同じような目で見られていたことも明らかでした。すなわち周囲からすれば「〇〇(私のこと)ほど馬鹿じゃないよ」です。
このことは以前も書かせていただいております(参考「最底辺だからこそ見えていた、アル中という底辺のなかのヒエラルキーの超くだらなさ」)。つまり私という存在がいるから、周囲の人は、安心して(?)酒を飲んでいたわけです。
この事実は、依存症、あるいはその予備軍の人間は自分よりも下のレベルにいる人間を基準に自分を考えて安心する傾向があることを示しています。今回の一件は、世のギャンブラーに大いなる安心感を与えたのではないでしょうか(皮肉)。
あとパチンコなどの場合、「俺はいつも勝ってる(から大丈夫)」というパターンもありますね。案外、そういう人は多いです。みんながみんな勝っていたら、パチンコという業界は成立しないだろうに不思議なことです(皮肉)。
また「昔のあいつ(私のこと)ほどじゃない」と言いつつ酒を飲んでいる人も知っています。そしてそういう人間を「圏外」から生暖かく見守れる幸せよ、ですね(性格悪い)。
ともあれ、「あそこまで馬鹿じゃない」と放言しつつ酒を飲む(ギャンブルをする)というのは、自分を基準に酒を飲むよりも危険であることは間違いないです。「下がいるから」は、自分の安全を担保しないのはもちろん、さらにその依存を助長します。
「あそこまで馬鹿じゃない」と呟いている各位のご無事を祈ります(皮肉)。
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