酒やめて、2874日
肥満は非コントロールの象徴!?
よく金持ちになるか貧困に落ちるかの分かれ目として、欲望をコントロールできるかどうかということが言われます。もはや今、それは常識と化しているのかもしれません。
「金持ちになる」というと、別にならなくてもいいという向きもあるかもしれませんが、資産形成できて将来に備えられる、あるいはアーリーリタイヤができるということを考えれば、要は自分の好きなように生きると定義できます。好きなように人生を選択できるということですよね。
実際、私も経験しましたけれども、金がないとホントに選択肢が狭くなってしまう。当然ながら嫌な仕事もしなければいけないし、それは現在、半ば実現している「人生コンフォータブル」とは程遠いものでした。
さて、その「分かれ目」を決める「欲望のコントロール」について、よく言われるのは安易に流れないということです。
たとえば食についての「安易な選択」とはいわゆるファストフードであり、これはもちろん肥満の素です。そして肥満化すると医療費もかかるので貧困に陥りやすく、また肥満=欲望のコントロールができていないというふうに見られ、したがって「分かれ目」を証明するかたちになることもまた常識化しているでしょう。
結局、生活を組み立てるということなのだ。
「欲望をコントロールする」のベースにあるものとは、自分の欲望と一旦向き合い、それを分析し的確な判断を下すということになりますよね。
それは、これまたよく言われるところの「考える」です。私などは酒を飲んでいた時代、ホントになーんも考えなくてまさに易きに流れていました。それにしても断酒してこうしたブログで過去を振り返ると、普通の人が普通にやっていることがいかにできていなかったかを思い知らされて、マジ、自分にビビりますわ。
で、断酒という観点(?)から考えてみると、「欲望をコントロールする」は単に酒を飲むのを我慢することではありません。いわゆる「根性断酒」も当初は必要かもしれませんが、やっぱり続けていくのに必要なのは「生活の組み立て」です。以前も書いたことがありますが、断酒大先輩の小田嶋隆さんがめちゃ的確に言い当てています。
アルコールをやめるということは、単に我慢し続けるとか、忍耐を一生続けるとかいう話ではない。酒をやめるためには、酒に関わっていた生活を意識的に組み替えること。それは決意とか忍耐の問題ではなくて、生活のプランニングを一からすべて組み替えるということで、それは知性のない人間にはできない、と。
(『上を向いてアルコール』より)
組み立てられた生活の中で、すべての行動を選ぶということが酒を飲まないことにつながっている。逆に言えば、私のような愚かな人間でも、断酒は生活マネジメント能力をつけてくれる。それが結果的に「欲望のコントロール」になる――と言えると思います。
例によってどうも上手く説明できないのですが、つまり断酒をしているということは、生活マネジメントを通じて(単に酒を我慢するのではなく)欲望をコントロールをしていることに他ならない。欲望コントロールは先に述べたように自由に生きることでもある。なので断酒er大勝利~という三段論法(?)が完成するのであります。
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