酒やめて、1293日。
ノンアルなら1本で満足できるのになあ
コロナが落ち着いたのか落ち着いてないのかよくわからないですけれども、ちょっと前から一時自粛していたランニングを始めました。やっぱり身体が鈍っていて、思うようには走れません。断酒したときに一つの目標にしたハーフマラソン出場は夢のまた夢のような気がしてきました。もっとも市民マラソンの類は軒並み中止ですけれども。
まあしかしランニングすると、当然ながら喉が渇きます。走った後のノンアルコールビールをんぐんぐするのがめちゃ楽しみではありますね。
で、ノンアルの場合、ランニングの後でも1本で全然いいです。この辺が普通のビールとは違うところです。
よく、水2リットル飲むのは地獄なのにビール2リットル飲むと天国になるのはなぜだろうとか、毎晩薬を飲むのを忘れるのに酒を飲むのを忘れないのはなぜだろうみたいなギャグがありますが、まったくその通りです。ノンアルは2本は要りません。
で、そうやってランニング後にんぐんぐしているとやはり考えてしまいますよ。
これがホンモノだったらなあと。
ただ繰り返しますが、ホンモノは1本じゃ済まないところが怖いところではあります。
メンタル弱いほうが断酒には強い!?
私の場合、酒をやめるきっかけになった底つきがあまりにも悲惨だったので、それがかえって良かったのでしょう、再飲酒することにはかなりの抵抗があります。でもそうじゃないという人もいると聞きます。つまりランニングの後のビールで言えば、今だったらこの1本だけで済むんじゃないか、これからはランニング後に1本だけビールを飲む人生を送れるんじゃないか、ということですね。
で、ですね、余計なお世話ながら、そういう人は「自分だけは特別」と思ったりするのでしょう。私の周りにも「俺は大丈夫」と公言してはばからない人がいます。
それはそれでどうぞご勝手にという感じなのですが、その「俺だけは大丈夫」というのがまたアル中、アルコール依存症の典型的な心理というふうにも言われますし、これはもうエビデンスが多々ある話です。
同様に、一度、再飲酒するとスリップ状態になりもっとひどいアル中になるということも、もう100%のことのようですね。いろんなサイトや書物を見ると。
だから「俺だけは」は本来ありえないことです。
にもかかわらず「俺だけは大丈夫」という心理にさせてしまうところが、やはり飲酒脳というものなのでしょう。
あるいはそのベースには、その人の成功体験があるのかもしれません。成功体験といっても酒によって緊張感が取れたとか、原稿がすらすら書けたといった類の成功体験ではなく、もっと本質的なもの、受験に成功したとか部活の大会で好成績を収めたとか、その辺のことです。そうした成功体験は成長する上で非常に重要だと言われ、私などはこれがないばかりになかなか人生苦労したなあとも思ったりもします(苦笑)。ただ、そうした成功体験ベースの自信が飲酒脳化すると、それは傲慢になりがち、だと思うのです。だから「俺だけは」になるのかもしれません。
逆に言えば、成功体験に乏しくメンタル弱い人間は、そのような傲慢さは持ちようがないですから、実は断酒しやすいし、継続しやすいんですよ(参考「メンタル弱い人ほど断酒に成功するという超理論が発見されたぞ!」)。