酒やめて、1023日。
酒飲んでいた頃は、飲みながらゲームをする楽しみがありました。ゲームというのはロールプレイング系で、信長の野望だったりシムシティだったりです。ご存じの通りこういうゲームって、地味な作業が必要じゃないですか。でも酒を飲みながらだと、それも楽しいわけですよ。それではっと気がつくと夜中の2時、なんてこともよくありました。
酒飲まないと、「内政」がつまらない
断酒して変化したのは、こういうゲームがまったく面白くなくなったこと。いや、信長だったら、合戦とかは楽しいんですよ。でも内政系の作業は、まさに酒でも飲まなきゃやってられねー、ということに気づいたのでした。
MLBの録画もよく観てましたが、これも同じです。酒飲みながらだと、結果がわかっていても退屈しないんです。結果がわかっているサッカーの試合は、さすがに酒飲みながらでもつまらないものですが、野球だとなぜか観てしまっていましたねー。ゲームにおける作業と同じく、素面じゃとてもできないことです。
この辺は、すごく不思議なところです。ただ酒飲んでいる限り、夜、退屈するなんてことだけはなかった。コンテンツ消費が容易だったと言っていいかもしれません。
『騎士団長殺し』を一気読み!
ついでにいえば、読書についても、ずいぶんと嗜好が変わった気がします。飲みながらだとつまらない本でも、途中何度か中断しても、なんだかんだで最後まで読んでしまうんですよ。でも断酒してからは、つまらない本は、3分の1位の間で捨てることが多くなりました。コンテンツに対する審美眼が磨かれるのでしょうか。
自分の本当に好きな本だけを読むというパターンになりました。もちろん島田荘司や伊坂幸太郎などは大好きなので、新刊が出るやいなや、舐めるように読んでいる。これは断酒前も断酒後も変わりません。
変わったのは村上春樹です。私も、大学生の頃は人並みに(?)村上春樹大好きでしたが(かっこつけも含めて)、『ダンス・ダンス・ダンス』あたりから離れてしまいました。でもって『1Q84』からまた読み始めたのですが、この『1Q84』と『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は飲酒時代に読んだので、ずいぶんと長い時間がかかりました。ところが酒をやめてから読んだ初めて村上春樹である『騎士団長殺し』は、もう二日ほどで一気読みしたのです。読んだのは文庫本になってからですが、新刊で上下巻の本を一気読みするなど、ついぞなかったことです。
では『騎士団長殺し』がぐいぐい引っ張るようなストーリーかといえば、そんなことはない。いや、ご存じの方も多いでしょうけれども謎はあるんですよ。とてつもなく大きな魅力的な謎が。でも、ミステリ小説じゃないから、合理的な解決が「あらない」こともわかっている。それでも貪るように読んでしまったのです。
というわけで、断酒すると、コンテンツに対する評価が変わる、という現象が起きます。いい方にとらえれば、つまらないコンテンツを無意味に消費することはなくなりました。そのために、より生産的なことができる(このブログを書くとか笑)、あるいはより多くの睡眠がとれるわけです。