酒やめて、2897日
断酒を続けるために書いているだけれども……
今年から、このブログを不定期更新にさせていただいているのですが、何故かということを誰に訊かれたわけでもありませんが説明すれば、やっぱりブログに時間が取られるからです。
1個前のエントリで「【年始め大発見!?】「酒を飲まないと自由を得る」という考え方は、人生全般に適用されるのだということに気づいてしまったのだった!」といった話を書きましたが、その伝でいくと、ブログを書くことに囚われてしまい、奴隷になっていたのかなという気もしていました。
むろんブログは断酒を続けるために書いているのであって、これは非常に大きいです。けれども、さすがにこの2月4日で断酒まる8年になるので、定期的に更新しなくても続けられるかなという思いもあります。なんて、これって「今度こそきちんと飲める(だから再飲酒しても大丈夫)」という例のアレに似ていますかね。
ともあれ、やりたいことがあって、その足を引っ張らない程度にブログもやっていきたいと思います。逆に言えばそれだけやりたいことが多く、やらなければならないことも当然ながら多くて、とにかくそれを粛々とこなしていく2025年にしたいのですね。自分で語りすまんが。
「ろくなもんじゃない」まま終わるのは嫌だ!
で、そのように考えた背景(大げさ)には、ここ3年で3回がんの疑いがあると言われ、つまり3回、死ぬことを考えたということがあります。きちんと人生を折り畳みたい(「やるべきこと」をやって死にたい)、そしてそれよりも大きいのは「やりたいこと」をやって死にたいという思いが非常に強くなったのですね。これからの人生、すべてのリソースをこの2つに注ぎ込みたく、これは、昨年読んだ岸博幸さんの著作『余命10年 多発性骨髄腫になって、やめたこと・始めたこと。』に書いてあった「バケットリスト」という考え方の影響も受けています。
ともかく「やるべきこと」「やりたいこと」を考えたとき、結構、量あるんですよ。そしてそれをこなすためには、私の能力的なキャパだとブログは定期的には更新できないかなあ、と。
そのように考察を進めて(?)いくと、ほんとに酒を飲んでいたらどうなっていたかとあらためて思いますよ。酒さんの時間強奪能力は半端ないので、「やるべきこと」「やりたいこと」の遂行は絶対に不可能になりますよね。
いや、そういう表現は正しくないですね。酒を飲んでいたら、たぶん、酒飲むしか「やりたいこと」はなくなり「やるべきこと」はどうでもよくなるでしょう。
その境地に達したらまだ幸せというもので、そうではなく、ある程度、「やるべきこと」「やりたいこと」を意識してながら酒を飲んでいたら、後悔というものが生まれ、そして後悔してないということを言い聞かするために酒を飲むというパターンになります。
それって要する最低の生き方ですよね。つまり「ろくなもんじゃない」まま人生終わるのです。
酒やめて、「やるべきこと」「やりたいこと」を遂行することができる、というのは、要は「ろくなもんじゃない」人生のリカバリーのチャンスをもらっているわけで、そのことを年の初めに再確認しておきたいと思います。
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