「飲酒習慣とは何か」ということについて、同窓会で考えてみた。

酒やめて、3193日

驚くほど皆さん飲まないのだった

先週、大学の同窓会の支部総会がありまして、そんなものにはこれまで行ったことがなかったのだけれども、浮世の義理ってやつで出席してきました。

だいたいこのような公式な(?)同窓会なんてものは、現役の時はあまり縁がないですよね。ジジババになってやることがないと出席率が良くなるようで、むろん私も含めてその通りの顔ぶれでした(失礼!)。

で、てっきり立食だと思っていたのですが、座って食べる本格的なフレンチであり、次から次に知らない人とも話さなきゃいけない立席スタイルが苦手な私は、かなり助かりました。

と、上記のことを前提にここからが本題なのですが、そのテーブルは確か9人ぐらいいたのかな、つらつら観察するに、驚くべきことにその9人がほとんど飲まないのですよ。乾杯の時点からお酒でなかったのは私ともう一人だけでしたが、乾杯だけお酒、後はソフトドリンクまたは水に移行という方が大半で、最後までお酒を飲み続けているのは一人か二人でした。とにかくテーブルに水のグラスが溢れていっていたのが印象的でした。

ただし隣の方と話してみると、若い頃は、〇〇あたり(大学近くの小汚い居酒屋密集地帯)でよく飲んだよなあ、ホッピーというのがあってさあ、ビールは高かったのでそれを飲むんだよ、みたいな話題になったりしました(私が酒やめるまでホッピーを飲み続け、しかもそのホッピーの濃度に異様にこだわっていたことは黙っていた)。

そのような学生時代から就職してバリバリ働いていた頃は、以前の日本社会であれば、むろん業界にもよりますが、皆さん、必要に駆られて酒を飲むパターンだったのでしょう。そして、ある時から飲まなくなる、「もう人生、酒なくてもいいや」になる、酒から、いわば「軟離陸」できたわけです。これは一応、人間のフィジカルな摂理としてあるにはあると思います。一方では飲み続ける人もいるわけで。どこかに「分かれ目」があるのです。

愚考するに「必要に駆られて」だけにしていれば、やがて飲まなくなるという「軟離陸」もできるのでしょう。同窓会で同じテーブルだった多くの人間がそうであるように(たぶん)。

必要ないのに飲むと習慣になり、その習慣が「必要」を生む!?

逆に言えば、必要に駆られてではないのに飲む、つまり機会がないのに飲む行為が、その軟離陸を阻止する要因になると思われます。ここに、食との絡みがあって、つまり美味しいものをさらに美味しくするために飲む、あるいはあまり美味しくないものを美味しくするために飲む、というのは人類がずっとやってきたことではありますが、考えてみればこれも「罠」ですね。実際、今回、あらためて確認できたように、美味しいものは水でも美味しいです。

さて近年、ダイエットに際してよく言われるのが、たとえば、昼が来たからといって食べる必要はない、です。「習慣だから食べる」から解放されるべきということで、自分がその食を本当に必要としているのか自問して食べるのが肝要とのことですね。これは、あまたあるダイエットに関する意見の中でも、かなり真実に近いものだと思います。要するに一日三食というのは思い込み、あるいは刷り込みという論です。酒も同じで、食事の時に酒を飲まなければいけないわけではないのだけれども、その思い込みが習慣化を促し、酒からの軟離陸を難しくするという論理になるのではないかと考えます。

とまあ、何を当たり前のことという向きもあるでしょうが、ここからが酒さんの怖いところでございまして。必要ではなく習慣で飲んでいると、やがて必要になるというのが酒さんの特性でしょう。

飯食うときは酒だよね、だったのが、やがて酒がないと眠れないになり、さらに深度化すれば、人生ハードモードの解決を酒に求めることになる。必要のない習慣が必要となったときに、酒さんから逃れられなくなってしまう。まさに私もこのパターンでした。

今、ジジババになって飲まない人は、むろん酒自体があまり好きではないという人もいるでしょうが、そうでない場合は、無意識のうちにそうしたことを意識していたのでしょう。私もこうしたことを若いときから自覚したかったなあ。

原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。

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