「俺は飲酒をコントロールできる( ー`дー´)キリッ」を一生続けるのは、無理ゲーチャレンジてものですよ。

酒やめて、2262日

酒量は「増える」ものです

私事ながら私はアラカンですが、周囲の同年代あるいは私よりもさらにジジイの先輩方を見渡すと、常々「俺は飲酒をコントロールできる( ー`дー´)キリッ」と公言していた人間も酒量が増えているようではあります。よく言われることですが、飲酒習慣が長年に渡るとだんだん耐性ができ少々の酒では酔えなくなり、そこに孤独だったり多忙だったり将来に対する不安だったりが重なると、酒量が増えるということにあいなります。

一方で「酒はもういい」という人も、実は一大勢力(?)として存在しています。もともとあまり酒が飲めない体質であり、しかし昭和から平成にかけての社会状況――いわゆる飲め飲め圧力によって飲まされていたけれども、引退やそれに近い状態になって、あるいはまだ現役の場合は偉くなって(そういう人は言うまでもなく、部下に酒を強要したりしない)、飲まなくていい立場をゲットしたというわけですね。

昭和からコロナ前までの日本の社会が異常だったとも言えますが、私のことを言えば、もちろん飲め飲め圧力をかける立場にはなかったですが、ただ飲もうぜ飲もうぜ圧力はかけていたわけで、その「異常」の片棒を担いでいました(反省)。

ともあれ、友人知人が少ない私の周りの数少ないエビデンスというか統計母数をもとにすると、ずっと飲酒をコントロールしている人なんていないんですよ。

若いうちは適正に飲む……て、飲酒に適正量なんてものはない( -`д-´)キリッということも最近では定説になっていますが、それはともかく一定量、あるいは一定の頻度で飲んでいたとしても、加齢に伴い、それをキープすることができなくなるのです。

アル中になる自由を得るよりも断酒のほうがハードルが低い

というわけで、

①加齢とともに酒量が増える人

②加齢によって酒やめる人

に分類できると思います。

内臓機能、とくに肝機能の衰えとともに自然に酒量が減る人もいますが、こういう人は②に分類してもいいでしょう。一方、肝機能が衰えても①の人もいます。このような(首から下の)身体と脳の意思統一が図れないところが人間という動物のやっかいなところであり、酒はそれを助長するわけですが、とりあえずここではその点については措いておきます。

さて、①はさらに、アル中になる自由がある人間(=①a)、飲んでる場合じゃないのに飲んでいる人間(=①b)に分類されます。

私などまさしく①bだったので、もう酒をやめるしか社会的にサバイバルするための選択肢がなく、逆に今は、これがモチベーションになっています。

でもって②の方は、現役時代も飲酒は付き合いだけしかしてこなかったので、資産形成も①よりはしやすかったでしょうし、私の周囲の数少ないエビデンスではありますが、今、非常にポジティブに生きているという感じを受けます。年金支給までバイトするしかないよガハハと言って、それもまた良しみたいな人も知っています。仕方なく働くということではないわけですよね。

やっぱり酒を飲んでいないと、幸せ体質になるというのは確かにあるのでしょう。てか、それが人間本来の姿かもしれませんが(お釈迦様は超絶ネガティブだったからこそ、究極のポジティブメソッドである「解脱」をわがものにしたとも言えるかもしれません)、これは老後の不安を抱える身としては非常に大きなことだと思います。

ともあれ「俺は飲酒をコントロールできる( ー`дー´)キリッ」を恒常的に続けるなんてのは、繰り返しますが無理ゲーなんですよ。今飲んでいる人はどこかで考えなきゃいけなくなる。

で、アル中になる自由を得るだけの境遇を手に入れる――永続的に収入を生んでくれるちゃりんちゃりんシステムを構築するとか億単位の遺産相続をするとか宝くじに当選するとか――あるいはすっぱり酒やめるの二者択一になり、後者の方がやっぱり万人向けかと。

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